文・ひつじ男
編集・ぼそっと池井多
「男性の生きづらさを書いてみませんか」
というSNSでの呼びかけを見て、私の半生を書こうと思いました。
このごろ私は昼夜逆転していて、寝る時間がどんどん遅くなって一回転し、あの日は朝まで眠れなくて、ボーっとした頭でテレビをつけたままにしてたら、「女性のひきこもり」を特集しているある番組が目に入ってきたのです。
VTRで取り上げられた「女性ひきこもり」の元夫が、
「すべては妻に耳を傾けてあげなかった私が悪いんです」
というようなことをカメラの前で語って
それを聞いて、私はとても複雑な心境になりました。
この元夫さんも、私と同じころに離婚したんじゃないかと思いました。
彼の発言から、元妻との生活を思い出したのです。
熾烈な婚活戦争の果てに
私は小さい頃から要領の悪い子どもでした。
でも、たとえ要領が悪くても、まじめにコツコツやっていれば報われる、と自分に言い聞かせて生きてきました。
そんな私にとって婚活は苦しいものでした。
出た大学は三流だし、コミュ力低くて女性を楽しませることは話せず、職業は長距離バスの運転手で長時間労働の割に給料は低く、勤務は泊まりがけが多いため家を空けがちで、女性が夫の職業として親や友達に自慢できるような華のある仕事ではありません。
婚活市場には都会のIT企業に勤めるような一流大学出の男たちがいっぱい登録していて、婚活にやってくる女性はたいていそういう男たちを狙っています。
だから、私など初め誰も相手にしてくれませんでした。
数えるのもバカバカしいのでちゃんと数えたことはありませんが、たぶん全部で100人以上の女性に連戦連敗しました。私もさすがに疲れてきて、もう結婚はあきらめようと考え始めていました。
そんな時にようやくカップリングできたのが私の元妻でした。
美人ではなく、スタイルが良いわけでもなく、性格もよいとはいえず、今から考えるとただ「女性である」というだけで、他は結婚相手としてとくに魅力のない人ではありましたが、連戦連敗だった私にとっては、こんな私でも「男」と見てくれたのが嬉しくて、カップリングが成立してすぐに結婚を申し込みました。
ところがいざ結婚してみると、プロフィールとはだいぶ違う女性なのだということがわかってきました。
まず仕事はイラストレーターと聞いていましたが、いざ結婚してみると、彼女はノートや紙の切れ端にときどき落書きのようにマンガを描いているだけで、職業としてイラストレーターをやっているわけではないことがわかりました。
でも、それは私にとって問題ではありませんでした。
たとえ彼女が無職で、好きなことだけやっていても、夫が妻を養うのは当たり前だと私は考えていたからです。
夫婦生活を支配する妻の「主治医」
妻が精神科にかかっていることも、結婚前から知っていました。
私は別に何とも思いませんでした。今は多くの人が心を病んでいて、精神科へ通うなんてごく普通のことだと思っていたからです。
でも、だんだんわかってきたのは、妻の場合、精神科に通っているということは、精神科の主治医に夫婦生活が支配されるということでした。
妻が、
「先生がこう言ったから、こうしてほしい」
というと、私は必ずそれに従わなくてはなりませんでした。
もし従わないと彼女の病状が悪化するというのでは大変です。
でも、もし彼女の主治医の指示というのが精神医療として妥当なものであり、私もじゅうぶん受け容れられる範囲内ならば、とくに問題はありませんでした。
けれど、必ずしもそうではなかったのです。
彼女はいっさい家事をしませんでした。
私が夜勤明けで帰ってくると、台所の流しには汚れた皿が山と積まれ、洗濯カゴには洗わなくてはいけない衣服やタオルがどっさり溜まっていました。
それを私は一つずつ片づけていきました。
独身時代、夜勤明けで帰ってきたときは、私はそのままぶっ倒れて寝ていたものですが、結婚するとそうもいかず、何かとやることが増えるのだ、ということを身をもって思い知りました。
ときどき私が我慢ができなくなって、
「きみも自分が使った皿ぐらい、自分で洗っておいてくれよ。きみはこの家ではお客さんじゃないだぞ。ここはホテルじゃないんだ」
というと、
「先生が『これからの時代、家事は男がするものだ。皿洗いや洗濯など夫にやらせればいい』といっている」
というのです。
妻の主治医というのが、ネットで調べてみると有名な精神科医のようなので、私は口答えができなくなりました。
さらに妻は、
「私のことを『きみ』と呼ぶとは何ごとだ。女を見下げているから、そういう呼び方になるんだ。マンスプレイニング(*1)だ」
などというのです。
私は何のことか意味がわかりませんでした。
私は昔から男でも女でも友達のように同格の人には「きみ」という二人称を使ってきたので、初めはとまどって、
「つまんないところにつっかかるもんだな」
と思っていました。
でも、私は昔から周囲が決めたことには異を唱えない従順な人間でもありました。自分の意見というのをあまり持てないのです。それは自分にあまり知識や能力がないせいでもあります。
それで、それからは妻を呼ぶときにはできるだけ「あなた」とか「あなたさま」とか呼ぶようにしました。
*1. マンスプレイニング(mansplaining): フェミニズムの用語で「男性が女性や子どもに対して相手を見下したような自信過剰で不正確で単純化されたコメントや説明をすること」を意味する。「男(man)」と「説明(explain)」を組み合わせた造語で2012年に誕生したとされる。
妻が何か話を聞いてほしいというときは、私はできるだけ聞くようにしました。
でも、どうも私の耳には、働いていない妻が語るのはくだらない悩みばかりのように聞こえて仕方ありません。
それだったら働いている私の方が、よっぽど深刻な悩みをいくつも抱えていました。
しかし、私がそれを話そうとしても、
「それはあなたの仕事だから」
といって妻は聞く耳を持たないですし、もともと私も自分の悩みをしゃべるのが苦手なので、私からはあまり話せず、一方的に妻の愚痴を聞いていました。
それでも、心のなかで「くだらない」と思っているので、どうしても私の反応が妻をイラつかせるようです。すると、妻は、
「どうせ聞いてないんでしょ!」
と怒り出して、話を切り上げてしまうことがよくありました。
心身が休まらない家庭生活
他にも妻との生活で「おかしい」とは思うことは多々ありましたが、言い出すとまたキリがないし、スッタモンダしてよけい面倒くさくなるので、波風を立てずにそのまま我慢してやり過ごしていました。
働いておられる方みんなそうだと思いますが、職場では毎日ほんとうにいろいろなことがあります。年齢が上がるにつれて、夜勤が続くと体力に響くようになってきました。
私の場合、人の命を運ぶ仕事をしているので、ぜったい仕事に手を抜くわけにはいきません。だから、ほんとうは家に帰ったら身も心も休む場にしたいのです。
でも、結婚してみてわかったことは、これからの世の中では男は結婚したら家に帰って休もうなどという考えは捨てなければいけない、むしろ家に帰ってからが試練だ、ということでした。身も心も、家に帰ってからのほうが大変なのです。
それは、その「女性のひきこもり」の特集番組を見ていても思いました。
あそこに出てきた元夫さんは、職場では仕事に神経をつかって、家に帰ってきたら今度は妻のいうことを聞いてやるような大変さがあったのでは、と私は考えてしまいます。それでも妻のいうことを聞くのが足らなかったといって、ああやってカメラの前で懺悔しているのではないでしょうか。
私も、もしカメラを向けられたら、そう言ってしまうだろうと思いました。
そのうち私は、勤めから帰ってきても、翌日にまた長距離乗務が入っているなど休養が必要な夜は、自宅には帰らずに近くのカプセルホテルに泊まるようになりました。その方がたっぷり休めるからです。
いったい何のために自宅があるのかわからなっていましたが、やはり乗務中に疲れが出ないようにすることのほうが優先でした。
夫はATM
妻の主治医は、
「夫はATMだと思いなさい」
と教えているとのことでした。
だから彼女はどうやら金目当てで私と結婚したようなのでした。
金目当てといっても、なにも私が金満老人のように財産がたくさんあって、妻がそれを狙っているという意味ではありません。日常生活の資金を供給するスポンサーとして、彼女は私と結婚したのにすぎなかったのです。
婚活戦争で連戦連敗だった私を妻がOKしたわけが、ようやくわかりました。私だったらそれで文句を言わなさそうに見えたのでしょう。
結婚する前は、結婚生活がこんなに苦しいものだとは想像していませんでした。結婚したことを後悔したのは一度や二度ではありません。
結婚する人が少なくなってきたというのも理解できます。結婚するメリットがなくなってくれば、みんな結婚なんかしなくなってくるのは当然でしょう。
さらに、結婚する人が少なくなってくれば少子化も進むでしょう。
でも、結婚してしまった以上は後悔ばかりしていてもしょうもないので、私は結婚生活にもできるだけ良い所を見出そうとしました。
妻は私との性交渉に関心がなさそうでしたから、そういうことはありませんでした。
これも、
「先生がしなくていいといっている」
といわれると、私としてはそういう気持ちになっても引っこめるしかありませんでした。
どこかよい温泉でも行けば、妻もそういう気持ちになるかもしれないと月並みなことを考え、旅行に連れ出そうとしたことも何度かあります。
でも、妻は出かけたがりません。
自分の部屋に閉じこもったきりです。
閉じこもって、紙切れにマンガを描いているのだと思っていたら、今度はゲームをやっているのだということがわかってきました。
私も学生時代、同級生でゲームが好きだった人は多かったのですが、私は仕事で目を酷使するせいか、仕事以外のところでゲームのようにチカチカしたものを見たくなくて、私自身はまったくゲームをやりません。
だから、ゲームのことはよくわかりませんでした。
妻はインターネットで誰かとつながって一緒にプレイしているようでした。そして相手はいつも男性のようでした。
食卓に置かれたメモ
ある日、いつものように私が夜勤のシフトから帰ってくると、家の中に妻がいませんでした。
そして食卓に、
「家を出ることにしました。」
とだけ書いたメモが置いてありました。
妻の携帯はつながらなくなっていました。
私は心配しましたが、やたらに騒いでもまずいのではないかと思い、警察には連絡しないで待ちました。
疎遠にしていた彼女の親族に連絡を取ってみると、親族も何も知らないどころか、彼女に関心もないようでした。
やがて送られてきたのは離婚届でした。
私は驚いて同封されていた連絡先へ連絡し、いったい何が起こったのかと妻に聞くと、そこでは説明されずに、ある喫茶店に呼び出されました。
その喫茶店へ出向いていくと、そこには妻のほかに一人の男が座っていました。妻は話さず、主にその男が話しました。男は法律に詳しいようでした。
それによると、男と妻はインターネットゲームで知り合って意気投合し、一緒に住むことにしたとのことでした。
私はそんなことが進行しているとはまったく知らなかったので、その場でひっくり返るくらい驚きました。
私は妻に「あなたさまはどう思っているの」と恐るおそる聞きました。
妻は、横にいる男を指して、
「この人に任せてある。先生もそれでいいと言ってる」
というのです。
夫である私よりも、主治医の了解が先に取られているのでした。
何日かすると、今度は妻の名前で何か堅苦しい文章で書かれた内容証明郵便が届きました。中身を読んでみると、離婚するのだから財産を半分よこせ、といっている内容でした。
私はあわてました。
私の財産は、私が何年も働いてコツコツと溜めてきたものです。
ところが今の法律では、離婚するときに妻は夫の財産の半分をもらっていく権利がある、となっているというのです。
この財産の中には、私が妻と知り合う前から溜めてきた貯金も入っています。また結婚後も、私が働いていた間、妻は家にいて家事もせず、ずっとインターネットでゲームをしたり、私が知らない男とやり取りしたり、私が払う家賃や生活費でそこに暮らしていただけでした。私が妻を養ってやっていたのです。
でも、今では男が「妻を養ってやっている」というとたちまち悪者にされてしまい、男の側はかえって不利になるだけで、浮気をされた夫が自分の財産を守る理由にはならないようでした。
ネットで調べてみると、妻を奪った男には私から慰謝料を請求する権利があることがわかりました。しかし、その金額はたかが知れたものであり、私の財産の半分を妻が持っていくとなると、差し引きで私の損害の方がはるかに大きくなるのでした。
どうせ妻の背後では、法律に詳しいあの男が糸を引いているのでしょう。
会社の法務部の人間に相談してみようかとも思いましたが、みっともない話だし、できれば職場には知られたくないと思い、やめました。
こちらも弁護士を立てて争うこともできるのでしょうが、私のように一介の市民は腕利きの弁護士なんて知らないし、仮に知ったとしても何年も裁判に費やすのはたまったものではありません。それに、そもそも法律が男に不利にできているのだろうから、裁判で争っても良い結果は期待できないと思いました。
大赤字に終わった結婚
結局、私にとって結婚とは何も良いことがなく、経済的にも大赤字で終わりました。
こんな結末が待っているとわかっていたら、はじめから苦労して婚活なんかしなかったでしょう。それに、はじめから真面目に働かなかったと思います。
離婚して力が抜けた私は、もうバカバカしくなってコツコツ働くのをやめました。
でも、私は妻が出ていって、ある意味でホッとしてもいました。
もう洗うのは自分が食べた皿だけでよい。洗濯するのは自分の服だけでよい。物音を立てるのを気にしないで自分の家の中を動き回れる。もうがんばって稼ぐ必要もない。
そう思ってホッとしていたのです。
はじめのうちは休職扱いにしてもらっていましたが、職場に戻る気がなくなったので、会社にもわるいので、退職しました。
こうなると、貯金の切り崩しで喰っていかなくてはなりません。でも、貯金も半分は妻に持っていかれたので、残りはもうそんなに多い金額ではなくなっていました。
それでも、またやる気を出して働く気になりません。どうせまた真面目に働いても、私のような男はけっきょく損をするのに決まっているのです。それだったら初めから真面目に働かない方がいいです。
金がないので、外へ出かけることもなくなりました。私のような生活を中高年のひきこもりというのでしょう。
そんな生活を続けていくうちに昼夜逆転になり、一晩中起きてボーッとした頭でそのままテレビをつけていたら、朝になって初めに書いたように「女性のひきこもり」の特集が目に入ってきたのです。
番組では、女性たちが「生きづらい」といっていました。
男性は生きづらくないのでしょうか。
私のような男性は、元妻のような女性に、ただ尽くし続けるしかなかったのでしょうか。
番組では、アナウンサーもコメンテーターもそういう女性が「かわいそう」ということで話を進めていました。
出てきた元夫という男性も、放送では男性のお手本のようなことを発言してましたが、
「この人の人生は本当はどうなのだろう」
と私は思ってしまいました。
モヤモヤしていた時に、ツイッターで「男の生きづらさ」についての手記の募集を見ました。
そこで私の体験は「男の生きづらさ」ということで語れるのではないかと思って、連絡させてもらいました。
(了)
#男性の生きづらさ #男性ひきこもり
編集注:著者はテレビ番組を観て自分の結婚生活を連想したまでであり、何か特定の番組に出演された女性当事者ご本人を批判する意図は一切ございません。
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