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ひきこもりのサバイバーズギルド わたしは生き残ってしまってはいけなかったのではないか

Photo by Pixabay

 

二十代の一時期、私は、「ひきこもり」的な自分を、「脱せる」のではないか、と思った。
当時の私は、居場所に行ったことで、人づきあいができ、生活が、安定してきていた。
就労でさえ、不可能ではない、と思えた。
無職の現状に対する、強烈な、拒絶反応が生じた。
早く就労でも何でもして、無為徒食(むいとしょく)な生活を、脱するべきだ、と思った。

――しかし同時に、そうなってはいけない、と、拒む心理も、またあった。
自分が、就労して、まっとうな社会人として、暮らしていく?
そんな前向きな変化が、重大な過ちに、感じられた。
これまでの自分に、申し訳が立たない、というか、それは、残酷な裏切りではないか。
この心理を、どのように説明したら、いいものか。
とっぴなたとえだが、これは、帰還兵、に近いのではないか、と思っている。

(今回の記事は、少なからぬ読者に、まるで理解されないかもしれない。
文章を最後まで読まれても、いったい何の話をしているのか、多くの人に、伝わるかどうか、わからない。)

 

いくつかの、ルポルタージュや、ドキュメンタリーを観るかぎり、帰還兵に、英雄的な喜びはない。
帰還後の日常生活は、悲嘆に満ちている。
帰還兵の自殺率は、そうでない者の、何倍も高い。
自殺に至らないまでも、精神を病む者が、極めて多い、という統計が出ている。
「平和」な社会的生活に戻れず、過酷なはずの戦場に、ふたたび戻ろうとする者も、珍しくない。

あるドキュメンタリーでは、元兵士の一人が、帰還後の、日常の辛さを語る。
その辛さは、戦場の記憶や、戦友との死別の経験からくるものではない、という。
兵士は言う。「本当に辛いのは、生き残ってしまったことだ」。
自分が、「平和」な環境で生きてしまっていることの、罪悪感に病んでいる。
帰還兵の辛苦は、戦争映画にも、反映されてきた。
戦争の悲惨さ、とともに、戦争「以後」の悲惨さ、をとらえた映画だ。
ベトナム戦争の帰還兵を描いた、『ディア・ハンター』(1978年)や、『7月8日に生まれて』(1990年)
イラク戦争の帰還兵を描いた、『アメリカン・スナイパー』(2014年)や、『アメリカン・ソルジャー』(2017年)

日本映画では、何があっただろうか。
いま一つ、これぞというものが、思いあたらない。
(ある研究者は、日本軍における精神の病が、この国で「ないもの」にされてきた、と指摘している。日本映画においても、フォーカスされてこなかったのかもしれない。)
時代物であれば、『七人の侍』(1954年)の、終盤の一瞬には、生存者の哀しみが、描かれていた。
侍の一人は、自軍の勝利を知っても、快哉(かいさい)を叫ばない。
反対に、「また生き残ってしまった……」と言い、なかば落胆するように、肩を落とす。
おそらく、『七人の侍』の神髄は、侍たちの救世主的な活躍を、描いたところではない。
戦場以外では生きられなかった、男たちの弱さが、にじんでいるところではないか。

 

なぜ、生き残ってしまうことが、辛いのか。
理由の一つは、苛烈な日々と、平凡な日々とでは、生の緊迫感が、違ってしまうせいではないか。
命がけの戦場に比べれば、平静な暮らしは、すべてが味気ない。
人とのあいさつも、部屋の飾りも、店での買い物も、どれもこれも、無価値なものに、感じられてしまう。
事物も、人間関係も、あらゆることが、チープに見える。
世の中と自分との、生の尺度のようなものが、はなはだしく違う。
適当な決まりごとや、雑談のときの冗談が、耐え難くなる。
その尺度の違いは、「退屈」をはるかに凶悪にしたような、有害な感覚を生む。

カウンセリングや、精神安定剤などを使えば、少しは、やわらぐのかもしれない。
しかし、そこにある「回復」とは、何だろうか。
もしもその効き目が、過去を忘れて、お気楽に生きていくことであったなら、自ら望むわけが、ないだろう。
現世の自分一人だけが、楽しむだなんて、死んでいった戦友に対する、冒瀆になってしまう。
何もかもなかったことにして、過去の自分とは、まるで関係のない自分で生きていくことなど、それこそ、人生を無意味にすることではないか。
それくらいなら、自分は「回復」してはならないし、むしろ、狂うほど苦しみつづけることに、人間であるための、最後に残された、尊厳がある。

 

私はこれらの、帰還兵の心理を、「ひきこもり以後」の心理の、比喩としたい。
自ら働いて、快活に生きていこう、としたとき、私は、何かから、強く引きとめられた。
戦友との死別を防ぐように、何かが、それまでの自分との離別(忘却)を、防ごうとした。
ある人を目の前で亡くしたときに、それが死体だとわかっていても、この場を離れるわけにはいかない、と感じる慰霊のように。追悼式や、墓参の最中に、軽薄なふるまいはできない、と感じる畏敬のように。
誰かを喪失したときには、にこやかにあいさつをしたり、軽口を面白がったりする、平凡な日常が、機能しなくなる。
社会的な尺度のために、自分の経験の尺度を無視して、「適応」してしまうなんてことは、喪失した相手に対して、申し訳が立たない。
私は、それまでの人生で、ずっと孤立して過ごしていた、一人の人間を、愚弄(ぐろう)することになってしまう。

私の、自身に対する「裏切り」においては、孤立を肯定していた言葉も、反逆に転じる。
「ひきこもり」などに対して、「休んでもいい」、「孤独も大事な時間だ」、といった、慰めの言葉がある。
本当に、心からそう思うなら、もう十年、ひきこもっていても、かまわないはずではないか。
「大事な時間」とやらを、十年つづけた自分を、なぜ置き去りにして、立ち去るまねをするのか。
「遠回りでもいい」、と肯定するなら、もう十年、これまでどおりに、「遠回り」することこそ、必要なのではないか。
生活を変転させてしまったら、それまでの自分の物語りが、崩壊し、成り立たなくなってしまう。
人生観の整合性が、とれなくなる。
人間にとって、生き抜いてきた過去は、重大なものであるはずだ。
それまで乗り越えてきた歳月は、勇敢な営為(えいい)で、あるはずだ。
人は、畏友(いゆう)の墓の上で、踊ることはできない。
同様に、自分が、自分自身の、昨日という墓の上にいるときも、踊ることはできない。

戦争にしても、孤立にしても、ある出来事の渦中ではなく、「以後」の苦難が、どれほど、多大にあることか。
そして、どれほどの苦難が、語られないままで、いることか。
社会的な関係のなかで、笑って暮らしていくことは、それまで生きてきた、自分のあり方に対して、侮蔑(ぶべつ)的なまでに、軽薄であることだ。
なんで、それが、「回復」と言われねばならないのか。
なぜ。
どうして。
不敬を犯しながら、「以後」の人生を、生き延びていく手立てが、見つからない。

 

 

 

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文 喜久井 伸哉(きくい しんや)
1987年生まれ。詩人・ライター。個人ブログ http:// http://kikui-y.hatenablog.com/