文・ぼそっと池井多
・・・「ひきこもりの考古学 第5回」からのつづき
内定をもらってひきこもった私
私は大学卒業を前にしてひきこもりが始まった。
当時、日本はバブル経済の階段を登っている最中で、就職先を探すのはかんたんだった。
会社訪問に行けば、企業は接待費を遣って大いにもてなしてくれ、こちらがその気になれば正社員の内定をもらうのは造作もないことだった。
げんに、私のように就職に役立つスキルなど何も持っていない学生でも、10社も回らないうちに、誰もが名前を知る大企業3社がたちまち内定を出してくれた。
ところが、ここで私のひきこもりが始まったのである。
よく、ひきこもりは失敗や挫折から始まると言われる。
内定をもらったことは、とうてい社会的に「失敗」「挫折」とは考えられないはずだ。
そのため私がひきこもりになった理由は、私自身にとっても長らく謎であった。
なぜ自分が布団から起き上がれなくなってしまったか、なぜ部屋から出ていけなくなったのか、自分でも当時はさっぱりわからなかったのである。
のちに、社会的に「失敗」と認識されない道に乗り出してしまったことが、私の人生という文脈では「失敗」だったためにひきこもりが始まったのだ、と自分でわかるのは、それから14年後のことである。
他でも書いたことがあるので、本記事ではその詳細は述べない。
今回書きたいのは、そういう私と対照的に、あこがれていた企業から内定がもらえないという、いわばわかりやすい「失敗」や「挫折」からレールを外れた同級生で、塾講師のアルバイト先で一緒であったオノちゃん(仮名)という男の話である。
内定がもらえなくてひきこもった彼
オノちゃんは、同じ大学のある体育会系サークルの部員で、一見とにかく明るいスポーツマンであった。
当時の体育会系の宴会では当たり前のように行なわれていた、きわどい下ネタ芸なども率先して披露する男だった。
たとえば先輩が、
「おい、オノ。お前、いつものやつ、『菊の御紋』をやれ」
と飲みの席で命じる。
オノちゃんはただちに、
「
と立ち上がる。
こういう部では、年功序列が厳しく、先輩にはぜったい逆えない気風があった。
「押忍」とは日本の体育会に特有のあいさつで、目上の人のどんな命令でも逆らわずに従うというときの返事である。
そしてオノちゃんは観客である先輩たちに背を向け、ズボンとパンツを下ろして、立ったまま膝を曲げないで両手を床につける。すると、むき出しになった
「菊の御紋。」
先輩たちは手を叩いてよろこぶ。
「よし! オノ。じゃあ、つぎは『
「
オノちゃんは、先ほどとまったく同じ状態で同じ動作をする。そしていう。
「奥多摩。」
またしても先輩たちは手を叩いてよろこぶ。
なぜこれらの姿勢が「菊の御紋」「奥多摩」と呼ばれるのかについては解説を控えるが、ともかくこんな光景が昭和後期の国立大学の体育会系の部活の飲み会だったのである。
こういう場面でのオノちゃんは、体育会にはよくいるタイプの、ひたすら快活で、ややこしい思想は何も考えない、世俗的な価値観に問題なく順応している学生であった。
こんにちの用語でいえばホモ・ソーシャルな空間にどっぷりと漬かり、それを楽しんでいるかのように見えた。
しかし部活を離れて、もう少し文化系じみた塾の講師たちで飲むときのオノちゃんは、とても繊細で生真面目であり、責任感の強い完璧主義者であった。
オノちゃんは就職活動で生命保険業界を重点的に回っていた。
私とちがって「就職する」という強い気持ちがあり、会社訪問も非常に戦略的にこなしていた。
何社を受けたのかは知らない。たぶん私よりは多いだろう。
しかし、とにかく彼がめざしていた業界トップの会社から内定がもらえなかったのを機に、彼をバイト先の塾で見なくなった。
「池井多くん、オノちゃんが教えていた中学生クラス、受け持ってもらっていいかな」
と塾長がいった。
「いいですよ。そういえば、このごろオノちゃん見ませんね。どうしたのかな」
私が首をかしげると、塾長が声を低くして語った。
「じつはね、今ある所に入院してるんだよ」
「入院?」
聞けば、めざす企業に落ちてから、オノちゃんは自殺を図ったというのである。
それも包丁を腹に突き立てて、切腹という手段で死のうとしたらしい。
あまりのことに、聞いた私はしばらくポカンと口を開けたままだった。
切腹などでかんたんに死ねるわけがない。昔の武士でさえ、ほとんどは介錯を必要とした。よほど後先を考えないで事に及んだのだろう。
また、切腹という手段を選択したことから、オノちゃんの自殺企図には怒りが強く渦巻いているのが感じられた。
ある意味、男性がたどりやすい道であった。
社会に封じ込められた声
最近のメジャーなメディアは、新聞にしてもテレビにしても、ひきこもりというと#女性のひきこもり ばかり扱うようになった。
先日7月31日もNHKの「あさイチ」では「女性のひきこもり」が放送された。
このように、どこのメジャーなメディアもこぞって女性のひきこもりばかり取り上げるようになったのは、東京都江戸川区が2022年、内閣府が2023年に発表した調査結果で、40歳以上のひきこもりは男性よりも女性のほうが多かったからだという。
しかしそれは、実数としてその年齢層で女性のほうが男性のひきこもりより多いというよりも、男性が女性ほど自分がひきこもりであると認めるような回答を「しない」、もしくは「できない」ために出てきた結果にすぎない、とは考えられないだろうか。
自分をひきこもりと認めるのには勇気がいる。
「ひきこもり」という語には、とかく「敗者」のイメージがつきまとうからだ。
弱音を吐く、カミングアウトする勇気が求められるのである。
そして、そのハードルは女性より男性にとっての方が高い。
「男なんだから弱音を吐いちゃいけない。SOSを発してはいけない」
と教えられて育ってくるからだ。
40歳以上となると、昭和の教育を受けて育った世代だから、その傾向はさらに強まるにちがいない。
だから、一度や二度の表面的な調査で、それもたかだか数パーセントの違いで「40歳以上のひきこもりは女性の方が多い」という数字が出てきたからといって、すぐさま公共放送まで含めてすべてのメジャーなメディアが足並みをそろえ、
「今やひきこもり・生きづらさといえば女性でしょ」
といわんばかりの路線にシフトしている現状は果たしていかがなものだろうか。
「女性は生きづらくないはずだ」
などと申し上げているわけでないことは確認させていただいておく。
たしかに、昨今は女性が多く生きづらさを語るようになってきた。
しかし、それは「女性のほうが男性より生きづらいから」ではなく、「生きづらさは男性より女性のほうが語りやすいから」だとは考えられないだろうか。
男性は、生きづらくてもそれを語ることができず、ついぐっと
「男性は、女性の犠牲の上に自己実現を独占的に謳歌しているから生きづらくない」ということではなく、「男性も女性と同じように生きづらいのだが女性のようにそれを表に出すことができない」ということにすぎないのではないだろうか。
男性がなかなか生きづらさを外に表現できない原因が、右脳と左脳をつなぐ脳梁が小さいといった脳神経構造など先天的要因にあるのか、それとも男性として受けてきた教育や文化など後天的要因にあるのかは、今ここであまり重要ではない。げんにそういう実態がある、ということだけが重要なのである。
こういう実態を考えに入れないで、女性の生きづらさばかりが取り上げられるようになるのは公平ではない。「ジェンダー平等」ではないのだ。
男性から生きづらさが語られることは女性に比べて少なくても、自殺者はすべての年齢層において男性が女性の2倍近いという事実がある。以下の図を見ていただこう。
これはいったい何を物語るだろうか。
男性は、少しぐらい生きづらくてもそれを語れない、もしくは語らないように育っている。社会に声を封じ込められているからだ。
しかし、男性も生物個体である以上、ストレスを無限にためこむことはできず、忍耐も無限にできるものではない。どこかに臨界点がある。そこへ達すると、それまで静かであったものがとつぜん暴発する。
2019年の川崎登戸通り魔事件のように、中高年のひきこもりと目された者がいきなり無差別殺傷事件を起こし、その場で自らの首も切って自殺したのは、そのように社会に声を封じ込められた男性の暴発の一形態だったのではないか、と私は考えている。
暴発は、そのように他害に及ぶこともあれば、自害に及ぶこともある。自殺である。
とくにいま私が語っているオノちゃんのように、介錯人もいないのに衝動的に切腹によって自殺を図るといった無謀な行為は、それまで生きづらさが訴えられなかったために蓄積した憤懣が暴発を起こした、非常に「男性的な」事件だったように思うのだ。
発見と搬送
それで、オノちゃんはどうなったか。
じつはそこで、彼がホモ・ソーシャルな体育会サークルに属していたことが幸いしたのである。
部活で飲み会の時にとんでもないことを後輩にやらせるのは、そういうコミュニティではほとんど個人の自由が認められていない証拠であった。
その延長というべきか、彼らはみんな一つのアパートに家族のように固まって群居しており、お互いドアに鍵もかけず、他人の部屋にもズカズカと勝手に入っていた。
その夜もいつものように、部の仲間がノックもせずにオノちゃんの部屋に入ってきて、腹に包丁を突き立て苦しんでいるオノちゃんを発見したのである。
当時は携帯電話などない。
固定電話は、金持ちの学生しか下宿に敷いていなかった。
すぐに仲間は近くの緑色の電話ボックスへ走り、救急車が呼ばれ、オノちゃんは搬送された。
そしてその後、精神病院に入院させられたというのである。
これがもし、あと十年遅く起こった事件ならば、就職氷河期ということで社会のせいにもできただろう。
しかし時はバブル、不採用はすべて我が身の不徳ということで考えざるを得なかった。とくにオノちゃんのような生真面目な性格では、そうだったのである。
アフリカに届いた戦線復帰
こうして私は、オノちゃんが塾で受け持っていた中学生のクラスを代わりに教えることになったが、冒頭に述べたように、やがて今度は私が内定をもらい、それによってひきこもり始めてしまった。
そのため、そのクラスはまた別の大学生が教えることになった。
当時は「ひきこもり」という語がなかったので、私には自分の状態を周囲の人に要領よく伝えることができなかった。
理解されないままひきこもっているのは、格好が悪くて仕方がない。そのため、私はやがて海外逃亡を図り、以後30代になるまで「そとこもり」の歳月を送ることになる。
そとこもりの最中、アラブの砂漠で、あるいはアフリカの密林で、私はふとオノちゃんのことを思い出した。
働いていた塾とは、私が海外に逃亡してからも手紙のやりとりをしていた。
塾からは、ときどき彼らが発行していたワープロ打ちのニュースレターが送られてきた。
ある号に、オノちゃんの手記が載っていた。
それによると、めざしていた企業に採用されず、もう人生ダメだと極端に思いつめ、ならば潔く腹を切って死のうと衝動的に包丁を握ってしまった、ということが遠回しに語られていた。
塾の生徒や親も読むニュースレターなので、遠回しに書くしかなかったのだろう。
オノちゃんはその後、一年留年をして、精神病院で療養し、復学してから就職活動を再開した結果、一年目に落ちた会社には入れなかったものの、その社と比べても遜色のない他の会社に就職できたという。
「すっかり元気になりました。これからは新しく入った会社で人生をモリモリ躍進させていこうと思います!」
と、やる気と希望に満ちた終わり方をしていた。
そこに描かれる彼の元気は、部活の宴会で先輩に命じられるままに下ネタ芸を連発していたオノちゃんを彷彿とさせた。どことなく無理をしている印象もあった。
私とオノちゃんは、就職活動の最中につぶれたという点で共通していた。
私はさすがに切腹は考えなかったが、ひきこもった当初はかなり現実的に自殺を考えたので、包丁を腹に突き立てたオノちゃんとはそれほど遠くない崖を歩いていた。
しかし、オノちゃんは一年の療養を経て素早く立ち直り、企業戦士として
「24時間戦えますか」
というCMソングが流れる日本社会の中核へ復帰している。
かたや私はといえば、未だに日本へ戻る気にならず、何の目標もなくひたすらアフリカの奥地をさまよっていた。
そんな私から見れば、オノちゃんには、
「おい、大丈夫か。あまり無理するなよ」
と言いたい気持ちがあった。
喪主となった新妻
やがて30代になりそとこもりから日本へ戻ったときに、私は同窓会報の訃報欄でオノちゃんの死を知ったのである。
結婚して、まだ間もなかったという。
喪主として記された新妻の名前が痛々しかった。
私はおどろいて、旧知に連絡をとり事情を訊いた。
やはり自殺であったらしい。
詳しい理由まではわからなかった。
手段がまたしても切腹であったのかどうかもわからない。
しかし、私はなんだかわかるような気がした。
きっとオノちゃんは、私と同じで、ほんらい社会に適応できない人だったのだ。
それを彼は過剰なまでに適応しようとしていた。
その努力は、私のそれをはるかに超えていた。
今にしてみれば、学生時代の部活の飲み会の、えげつなく見えたあの下ネタ芸も、陽気なバカ騒ぎの裏側に、
「環境に適応しなければ」
「先輩たちに受け容れられなければ」
と卑屈なまでに焦る心が貼りついていたのだ。
一度目の自殺企図から、無骨な外見とはうらはらにオノちゃんのガラス細工のように壊れやすいメンタリティが透けて見えた。
ある意味、非常に「男性」であった。
あんな繊細な精神を持っていたら、企業社会に入ってからは、同じくらいの、あるいはそれ以上の失敗や挫折が次から次へと襲ってきたことだろう。そのたびに彼はまた自死の衝動に駆られたのではないか。
ときに30歳。
すでに会社員として中堅どころの仲間入りをし、部下も持ち、責任も増した年代である。
具体的にどんな理由が最終的に引き金を引いたのかわからないが、企業社会で荒波に揉まれていれば、理由となりうる状況など毎日のように彼へ押し寄せていたと考えられる。
それでは、結婚は彼に自殺を思いとどまらせる役割を果たさなかったのだろうか。
ここで自分が死んだら、結婚したばかりの妻がかわいそうだとは思わなかったのか。
妻を愛していなかったのか。
……人はそんな問いを投げるかもしれない。
しかし、それらの問いは、たぶん彼には意味がないのだ。
おそらく彼にとっては、結婚すらも、これでもう自由がなくなるという閉塞感と、これから妻の人生を幸せにしなければならないという義務感としてのみのしかかり、死にたい気持ちを強める要因として働いたと私は推測する。
良き夫、良き父でなければいけない、という重圧に押しつぶされたのである。
結婚や子育ては、オノちゃんにおいては生きる動機に結びつかなかった。むしろ逆だったのだ。
それは、自殺を考えていたころの私がそういう心境だったから、よくわかる。
私にとって就職内定の獲得が成功ではなく失敗であったように、オノちゃんにとっての結婚は慶事ではなく凶事だったのだ。
人生に起こる事件の意味は、つねにその人の人生という文脈によってしか考えられない。
同級生は定年まぢか
私が就職活動をしてから40年が経とうとしている。
ひきこもった私はそのまま二度と就職しようとせず、オノちゃんは立ち直って7年後に自裁し、同期に就職した同級生たちはそれぞれ企業人生を勤め上げ、皆そろそろ定年を迎えようとしている。
近年になってしみじみ思うことは、やはり私の場合、なるべくしてひきこもりになり、ひきこもり人生になって良かったということだ。
もし、あのとき無理をして就職したら、私もきっとオノちゃんのようになっていたのにちがいない。
逆にいうと、私の無意識はそういう私を予見したからこそ、私を就職させず、私をひきこもらせ、私を社会の中核から遠ざけ、私をこういう人生に導いたのである。
無意識には、あれこれ考えずに従ったほうがよい、というのが私が得ている人生訓である。
ひきこもりになって、たしかに生涯収入は、ひきこもらなかった同級生に比べて桁違いに低い人生となった。
お金がないので家も買えない、家庭も持てない。
しかし、そんなことよりもはるかに大事な「私らしく生きる」ということができたように思う。
……ひきこもりの考古学 第7回へつづく
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOTの公式ブログの全記事が閲覧できなくなっている。
著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
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