文:フゥム
編集:ぼそっと池井多
写真:フゥム・みなきんぐさん・ぼそっと池井多
何もやる気が起きなくて
24歳のときに少し遅めの新卒として就職した。大卒で入ったが、同僚には高卒も普通にいた。そこを2年で辞めてからバイトを転々とし、さすがに、
「30になって正社員じゃないのも何だかよくないんじゃないか」
と思い、派遣のバイトをしながら雑に就活して、何となく流れで不動産会社を受けた。そしたら、どういうわけか筆記試験から面接まで順調に進み、結局そこに流れ落ちるように入社を決めた。
就活を始めてから3ヶ月もかかってなかったし、他に受けている会社もなかった。あまりにすんなり決めたので、ハローワークの担当者は逆に、
「本当にそこでいいんですか」
と訝しげだった。
こっちが何も考えずに仕事を決めているのはもう担当者に伝わっていたと思うが、30過ぎのFラン卒、大したキャリアもない男がどこ受けてもどうせ良い所なんて入れないし、似たような所しか受からないと考えていたから他の会社を受ける気なんてさらさらなかったのだ。
そもそも働きたくない。全くもって何もやる気が起きなかった。
やりたいことといえば、こうやって文章を書くことだったが、これで生活できるとは思えなかった。
いちおう、
「もしかしたら入社したら自分はやりがいを見出し、仕事が面白くなるかもしれない」
と期待していた心もあったが、いざ会社で働き始めると、どうやらそんな気持ちにはならなかった。
休みは月6日、繁忙期は月4日、給料固定バイトのフルタイムくらい+歩合で歩合ゼロに加え、社用携帯で休みの間も仕事の動向を追わなきゃいけない環境で、これでは2年目以降頑張れる気がしなかった。これ以上その会社にいると、あとあと「人生を返してほしい」という恨みに変わりそうだったので、1年で辞めることにした。
給料が低いのに、プレッシャーを感じつづけ、たまに怒られることもあるなんて、軟禁付きのハードSMだった。自分にはそんな趣味はないので、ここで辞める方が正解だ。
こうして31歳で会社を辞めた。
退職届を書くなんて面倒なことはしなくて済んだのは救いだった。
その日はちょうど会社のBBQパーティーがあったのだ。隣にいた部長に「辞めます」と口頭で伝えたら、そのまま辞められることになった。酒の席で軽く気まずい思いをしたが、それ以上の問題にはならなかった。会社としても俺は戦力外の人間だったから、べつに辞めても構わなかったのだろう。
辞めたら、解放感以外の何ものでもなかった。
職場近くで仕事を利用して借りた極小シェアハウスで寝ころびながら自由を感じていた。実家ではないから親にもバレず、悠々自適に過ごしていた。こういうのを「ひきこもり」と言えば言えたのかもしれない。
やがて会社から謎の郵便が実家に届けられ、俺が辞めたことは親にバレてしまうのだけど、この時はそんなことも知らずにただゴロゴロしていた。
そのシェアハウスの1階は資材置き場になっていて、フォークリフトがパレットを運び出していた。無職も1週間すると作業音で朝を感じるのが当たり前になる。神経が図太いので、
「みんな働いているのに……」
なんて罪悪感を抱くことはまるでなかった。
そういう所が営業で歩合を獲得できなかった原因なのかもしれないが、反省したところで何にも活かされるわけでもない。だから考えない。監獄みたいな住環境で人間らしさなんて感じられなかったが、仕事してるよりよほど楽だし、心地よかった。
ちゃんと無職をやろう
会社を辞めて、まずはやりたいことを消化することを優先した。
再就職? そんなこと考えてたまるもんですか、もう。
高校の時にニートのPhaさんを知って、彼の生き方に感心したが、自分には無理だと思っていた。しかし、こういうことになったのでちゃんと無職をやるべく(?)無職界隈に接触することにした。
今の時代、何にでも“界隈”が存在するもので、無職にもそのような集団が存在していた。
そこには、不労所得者からひきこもり、発達障害者、ただ働きたくないだけの人など色々いた。
ひきこもりの人はなかなか集まりには出てこなかったけど、オンラインでは繋がっていた。普段は公園で安く借りられる場所に集まって、お互い考えてることなんかを話していた。
もともとこの団体のことは知っていたが、自分はニートでなかったこともあって、接触できていなかったが、仕事を辞めたのを機に繋がることにしたのだ。
「誰でも予約なしに来ていい」と聞いていたので、いきなりその場所へ行ってみた。軽く挨拶して、
「ツイッターでここを知ったので来ました」
と説明した。
最初は誰も反応してくれなくて、こちらもうまく話せなかったが、日が経つごとに普通に話せるようになっていった。
今、振り返ると「予約なし可」と言えど、やっぱり事前連絡をした方がよかったな、と思う。そもそも無職で色んな人が集まっている所だから、器用に接してもらえるとは限らないし、緊張もするだろう。せめて事前に連絡を一本入れるだけで、だいぶ話しやすくなったかもしれない。
自分は「行けば何とかなる」と思っていたが、相手からしたら「来たら何とかしなきゃいけない」のであり、あれは思いやりが足りない自分本位な行動だったと反省している。
もう一つ、会社を辞めたら行きたかった場所があった。イベントバーと呼ばれる種類の、誰でも一日店長ができる店だった。そこで自分が無職になったことをイベントにしてしまおうと考えた。
その店は地元に新しくできたばかりで、一日店長を積極的に募集していたので、すんなり決まった。メニューは適当に作ったパスタと安物ワインを提供した。
それがそこそこの評価を得て、いつの間にか毎週木曜日に入ることになった。平日なので、そんなに集客は見込めず、空いている席が目立った。
自分はとくに知り合いもいないので、0から人を集めなくてはならなかった。それでも、開店したばかりの店なら入るだけでありがたがられるので、それが免罪符になって安心感があった。店の方はどう考えていたかは知らない。
普通なら仕事を辞めてしまうと孤独や焦りが出てくるものだと思うが、自分の場合はこういうふうに行きたい場所があったというのが大きな助けとなった。そこでは仕事のことも相談したし、話し相手もすぐに見つかった。
会社を辞めてから最初の1ヶ月は、まだ勤めていた期間の給料が振り込まれ、ちょっと不労所得みたいな気分になれた。「これは最高だ」などと調子に乗っていたが、すぐに金銭的不安を覚えて、店で教えてもらった派遣バイトを始めることにした。
派遣バイトの生活
こう書いてくると、なんだか会社を辞めてから圧倒的に楽になって、人生をエンジョイしたかのように見えるかもしれないが、そんなことはない。個人的には確かに楽であるし面白かったが、一般的な感覚ではまず楽といえるものではなかったと思う。
当たり前だが、収入が減って何の援助もないのは、それだけでもう楽なわけがない。派遣バイトは不安定で、いつ入るのか、仕事はあるのか、さっぱりわからないため常に不安が付きまとう。
時間を空けて仕事の予約をしていても、仕事そのものがないこともある。そして、仕事内容だって自分に合わないかもしれないし、厳しすぎるかもしれない。待機時間が多い仕事か、力仕事が多いのかもわからない。勤務地もどこになるかわからない。遠いかもしれない。時間もわからない。
どんな人が現場の指揮に来るかもわからない。たまに嫌なヤツの下で働かなくてはならない日もある。そうすると肉体的に大丈夫でも、もう精神的に余裕がなくなる。
だから毎回、現場に着くまでは「今日はどんな現場だろう」と考えて緊張する。いろいろな現場に行ったが、この緊張にはいつまで経っても慣れることはなかった。でも、場数をこなしていけば、現場に入ってからは雰囲気で何でもわかるようになる。その点だけは経験の積み重ねが気持ちを楽にしてくれた。
今後についての不安もすごくある。
なまじ時間があるから「自分はこのままどうなってしまうのか」と考えてしまう。
このように一般企業に勤めていない期間が、将来まとまった仕事をするとなったときにどう響いてくるのだろう。いいかげんな人間と考えられる根拠になるんじゃないか。履歴書の空白として見なされるんじゃないか。それがわからないから、嫌なことばかりを想像してしまう。仕事もなく孤独でみじめな中高年の生活を頭の中でリアルに想い描いてしまう。
そんなときに普通に働いて生きている人たちを見ると、ついつい自分を比べて惨めになる。単純に金がないので、食費も節約に迫られる。パスタを醤油で味付けしただけで食べてたこともあった。
こういう生活をどう思うかは個人差が大きいと思う。だから簡単に「会社を辞めても大丈夫」とは人に言えない。もちろん薦めるなんてことはできない。
自分はライティングをやりたいと思っていたから、辞めづらい固定バイトをしないで、不定期な派遣バイトばかりを入れていた。でも、うまくライティングの仕事を見つけることができず、結果としては固定バイトをやることになったのだが。
固定バイトを始めてから、店の知り合いの伝手で別のシェアハウスを紹介してもらった。家賃も安くなるので、そこに引越すことにした。引き続きイベントバーの一日店長もやりつつ、固定バイトもやっていた。
生活環境は独房から1部屋に同居レベルに上がり、快適になった。収入は上がったのに何故か生活は楽になることもなく、1年以上が過ぎた。
イベントバーという世界
イベントバーという所があることは、会社を辞める前から知っていたが、勤めていたころは時間と金がなくて行けなかった。辞めた後も金はないはずなのになぜ行けるのか、と突っこまれると答えられないが、不思議と行けるようになったのだ。貧乏であったが、時間があったので可能な限り行ける店には顔を出した。イベントバー以外にも面白そうな人がいる所には行った。
一日店長をやりながらあちこち遊びに行っているうちに店と自分を知ってもらい、少しずつ自分のイベント集客も増えていった。ついでにイベントの運用の仕方、集客のやり方、人間関係の構築、色んな人とのコミュニケーションなども、初歩的ではあるがだんだん理解できてきた。
イベントバーのオーナー店長がもう一店舗始めることになり、そこの店長になる気持ちはないかと俺に打診してきた。二つ返事でOKした。こうして、奇しくも地元に引っ越すことになった。
正直、実家から通った方が生活も経済も楽になるのだが、親も嫌がるし、自立してない感じで自分も嫌なので、意地でシェアハウスに住んだ。シェアハウスは安くて最高。
そうそう。シェアハウスも適性があるので、一人の時間が欲しいという人には向いていないと思う。
バーとシェアハウス、仕事以外の団体への所属で人との繋がりは広がって面白いが、人づきあいがあればそれなりに難しいこともあるのは確かだ。
食品衛生責任者の資格を取り、晴れて店長になった。
はい、そこで登場、コロナです。
大学在学中はリーマンショック、就職時には3.11、今度はコロナ。神様はふざけてるんでしょうか。で、ここからが地獄かと思ったが、特にそんなことはなかった。
店が空間的に自由に使えるのは楽だった。シェアハウスで得られない個人の時間は店で得ていた。
コロナで人が来ないし、シェアハウスも近いので、店まで自転車で移動していた。
ところが意外にも、コロナ渦でも人が来るようになった。やはりみんな行き場所に飢えていたんだなあ。このためボチボチと売り上げも入り、安い店の賃料はなんとか払えた。
バイトもしていたので収入の不安はなかった。最初の3ヶ月くらいは店の不安もあったけど、意外と何とかなることがわかった。
こうしてコロナが感染拡大してから2年間はダラダラしていた。年齢的にも不安や焦りを覚えるのに飽きていたのか、もう何も感じなくなっていた。
会社を辞めてから目的もなくフラフラとあちこち遊びに行ってたのが、こういうときに功を奏して集客力につながっていた。まったく何がどう起こるかわからない。
無職界隈もイベントバー界隈も正直、思いだけで集まってる人が多いから、気持ちが衝突して面倒なことが多い。ときには、こういう界隈に関わったのを後悔してもおかしくないような出来事もあった。でも、自分は三十を過ぎて落ち着いていたし、得られなかった経験を得られるチャンスだと思って、そういうトラブルも楽しむことができた。
こうして得られたイベントバーの店長の生活は、どんなものか。
まあ、理想の生き方や集まりなんてないけれど、緊急で対応しなければならない事態が突然起こるようなことはない。
考えてみれば、不安や焦りは抱くだけ無駄だった。何も考えなくても明日は来るし、動いていれば何かしらやることはできて、それをこなしているだけで問題が起きることもない。
うまく行っていたことが急にダメになるかもしれないし、逆にダメだったことがいきなりうまく行き始めるかもしれない。だから将来なんて、本当に悩むだけ無駄だった。
明日に向かって動くこと、もしくは休むことだけを考えていればよかった。終わったからそう思えるのかもしれないが、少しでも自分から心の余裕を削るような考えはしないことだった。
急に前向きにはなれないが、目の前のことに集中して、たまに振り返る程度でいい。どうしても苦しかったら、誰かと話して気を紛らわせよう。集中したり紛らわしたりするのが人生だなんて思ってる。そして、紛らわせる場として、この“moja”(モジャ)という店をやっている。
現われた珍客
店を始めて丸4年が経ったころ、ふいにぼそっと池井多と名乗るおじさんがやってきた。中高年のひきこもりなのだという。
なんでもこのおじさん、還暦もとうに過ぎているのに初めてイベントバーの一日店長をやってみたいなどとのたまう。うちの店は、発達障害界隈バーの第一人者といわれているみなきんぐさんという女性から紹介されたらしい。
「面白いじゃないですか」
ということでトントン拍子に話が決まり、去る5月12日にこの場所で
「容赦なく過ぎてゆく歳月と性と死を語るBar」
というイベントバーが開催された。
みなきんぐさんもヘルプに入って、とてもにぎわった。
コロナ前の朝の埼京線ってこんな感じだったんじゃないか、と思わせるほど大入り満員で立ち呑み客が出た。ぼそっとさんも初めてとは思えないほど慣れた手つきでバーテンダーをやっていたが、新しい客が入ってくるたびに、
「ヘイ、らっしゃーいっ!」
と威勢よく声をかけるところはバーというより寿司屋か海鮮居酒屋だった。
こうしてひきこもり界隈ともつながりができたので、ひきこもりの皆さんもどんどんうちを使ってイベントやったり、つながりを広げたりしてくれればいいな、と思っています。
よかったらご来店、ご連絡お待ちしています。
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