文・ぼそっと池井多
・・・「ひきこもりの考古学 第10回」からのつづき
入れすぎればあふれる
心は、容れ物のようなものだと思う。
その容れ物が在る場所が、脳という神経細胞のネットワークであろうと、胸部に埋まっている赤いハート型をした臓器であろうと、この際それは関係ない。いずれにしても容れ物のようなものだと思うのだ。
容れ物だから容積がある。それは有限だ。
容れ物には、適度に何か入っているのがよい。空っぽではさびしい。
だから心は、いつも適度な強さの、適度な量の刺激が入ってくることを望む。好奇心。刺激が何も入ってこないと退屈する。
しかし、入ってきた刺激が多すぎたり大きすぎたりすれば、それは心からあふれてしまい、よけいな分を外に出さなくてはならない。
当事者会など、定期的に思いの丈を語る場が求められるのは、そのためだとも思う。いわば、容れ物の管理運用のためにあふれそうになっているものを定期的に捨てに来る場が必要なのだ。
またこの文章もそうだが、過去にひどい虐待やいじめの体験を受けた者がそれを言葉にして外へ出したくなるのも、そのためだろう。虐待やいじめは、あまりにも大きなゴミを心という容れ物へねじこんだ。いつまでもそれがそこに在ると、新しく美しいものが入ってこない。
心からあふれるものを外へ排出するには、なにも言葉という手段に頼らなくてよい。落書きでも叫び声でも、何でもいい。アール・ブリュット(*1)の起源や価値はそんなところにあると私は思っている。
さらに、本人が何かの手段で「表現しよう」という意思を持たなくても、心からあふれ出た過去の体験は何かしらの道筋をたどって外へ出てきてしまう。
東日本大震災のあと数か月すると、被災地の幼稚園から小学校低学年ぐらいの子どもたちの間に「津波ごっこ」が
*1. アール・ブリュット (art brut) 「生(なま)の芸術」を意味するフランス語。正規の芸術教育を受けていない者が制作した芸術作品。第二次世界大戦後に強迫性障害や統合失調症など精神障害を持った者が描く作品に価値が見いだされ、このように認知されるようになった。その作品を描くことで副次的に本人の治療的効果も認められている。
身体化される怒り
私は中学生ぐらいから文章を書くことが好きだったが、自分の体験を書くことはついぞなかった。なぜならば、自分を言葉にすると、読んだ人々に私がいかにみっともない人間であるかがバレてしまうからである。
だから若いころに書いていた文章は、政治や経済などおよそ自分の人生と直接関係のないテーマばかりだった。政治や経済も遠くで自分の人生とつながっており、いわゆる「机上の空論」とは少しちがうが、しょせん自分とは離れた空中に築いた、もっともらしい言葉の楼閣にすぎなかったのである。
そして、そのころ私は、今でいう強迫性障害に苦しみ、そのうえアトピーと喘息に悩まされていた。
強迫の症状は私の生活を隅々までさまざまなルールで縛り上げ、アトピーは皮膚が内側から刺されて突き上げられるような猛然とした
今にしてみれば、あれらは私が自ら表現しようとしない怒りが容器からあふれかえり、体内のあちこちで暴れ回ったあげく、勝手に外に出た現象だったと思われる。怒りは言語化されないために身体化されていたのだ。
私とて、あえて言語化という作業を止めていたわけではない。
言語にして外へ出すという作業は大変なのだ。語彙力が求められるということではなく、掘り起こすにはまず自分と正面から向き合い、虚心になって深部へ降りていかなくてはならない。少しでも虚栄心(*2)が高いとできない。
30代に、人生3度目にしてガッツリとひきこもったとき、私は一種の「底つき」を迎えた。(*3)
*2. 虚栄心 私は「プライド」や「矜持」とは使い分けている。
*3. そのときの様子は以下の記事に詳しい。
https://www.hikipos.info/entry/future_past_j
これで私は、
「どうせ言葉という道具を用いるなら、自分を言葉にしなければ損だ」
と考えるようになった。
私にとっては関わりの薄い遠い国の政治や経済に言葉を浪費しているうちに、私の人生は終わってしまうのではないか、と恐れ始めたのである。
働いているヒマなんかない
私自身をふくめ、ひきこもりの多くは働いていない。
そしてその状態に罪悪感を持っている。
「罪悪感を抱くくらいなら、働けばいいのに」
と、ひきこもりと縁のない「ふつうの人々」はいうだろう。
けれども、ひきこもりはそうしない。そうできない。
なぜか。
ここで私は「日本の最低賃金は…」などと経済状況や労働環境を理由に挙げようと思わない。そういうことを語り始めれば、社会的言説としてサマになることは分かっているが、そのかわり真実ではなくなっていくのである。
少なくとも私の場合は、正直をいえば、経済状況や労働環境のせいで働いていないのではない。最低賃金が2倍や3倍になっても、やはり私は働かないだろうからである。
働かない人生を送ってきたとはいえ、私も今まで短期間、何やかやで働いたことはある。
時給換算でもっとも高かった仕事は、難関中学を受験する小学生の家庭教師であった。
高校レベルの問題を、二次方程式も微積分も使わずに小学校の算数として児童が解けるようにするのは骨の折れるミッションである。そのため時給は10,000円だった。
ありがたいことに、しばらくやるうちに私は家庭教師として高い評価をいただき、あちこちの受験家庭から呼ばれるようになったので、この際その道で一生喰っていこうかと考えないでもなかった。
しかし、自分が幼いころ母親に拷問のように中学受験させられるという教育虐待を受けていたために、
「自分が小学生たちを教えているのは虐待の連鎖ではないか」
という自問に苦しみ、やがてやめてしまった。
もちろん母親が私にふるったような暴力や脅迫を、私が自分の生徒にふるうことはまったくなかったし、むしろ私はその家庭の母親に虐げられている子どもの側に立ってあげたつもりだが、それはそれとして、
「そもそもなぜ遊びたい盛りの子どもを中学受験に縛りつける側に立つのだ」
という自責に押しつぶされたのである。(*4)
*4. あれから30年経って、この点に関して今は異なる意見を持っている。すべての児童がかつての自分のように中学受験を嫌がっている、という前提に立ったところに当時の私の誤りがあった。中学受験が悪いのではない。それをまるでゲームのように楽しんでやっている子どももいる。要は、本人の意思がどちらを向いているか、周囲の大人がそれを捻じ曲げていないか、をチェックすればよかったのだ。
反対に、時給換算でもっとも安かったのは、精神医療にかかっていたころ、主治医である精神科医は私を治療せず、そのかわり都合のよい人材として主治医が持つNPO法人の事務局で働かせたのだが、その数年間の仕事である。年間1200万円ほどの助成金事業を私一人で切り盛りしていたにも関わらず、賃金は支払われない。つまり、時給0円であった。
「こいつは患者だから、これは作業療法をさせてやっているんだ。ありがたく思え。こいつの生活は生活保護で支えられているから、こちらから金など払わなくて良い」
というのが斯界に大御所として君臨する主治医の考えであるらしい。現在もその法人では、同じようなことが続いているようだ。患者はみな主治医に治療転移しているので、言いなりになってしまうのである(*5)。
*5. このあたりのことは以下の小論に詳しい。
ぼそっと池井多「精神療法は安全なのか -『薬を使わない』の落とし穴」日本評論社『いまこそ語ろう、それぞれのひきこもり』所収, 2020年, pp.116-123
この二つの両極のあいだに、警備員や農業やライター稼業などさまざまなアルバイトをやったわけだが、得られる時給の額に関係なく、働いている間じゅう私がつねに覚えていたのは一つの焦りの感覚である。こういう気持ちだ。
「こんなことをやっていて、いったい何になる!
私の人生をいったい何だと思っているんだ!
こんなふうに働いているうちに、人生が終わってしまう!
私は働いているヒマなんかないんだ!
いいかげんにしろ!」
ところが、それらの仕事は自分で引き受けた以上、「いいかげんにしろ!」という怒りを雇い主にぶつけるわけにもいかない。そういう時のお決まりのパターンで憤懣の矛先は「社会が悪い」へ行くわけだが、社会が悪かろうと良かろうと、やはり引き受けたのは自分じゃないか、という問いに立ち返ってくるのであった。
焦りを解消するものは何か
問題は、なぜ「働いてるヒマなどない」などという奇妙な焦りに駆られるか、である。
もし働いているヒマがないならば、何をするヒマならばあるのだろうか。
働いているヒマを惜しむのは、そもそも何に時間を宛てたいからなのだろうか。
そう考えると、答えられないのであった。
「働いてるヒマなどない」
という焦りに駆られ、仕事が終わって真っ先に職場を離れたところで、そのまままっすぐ帰るわけでもなく、あてどもなくあちこち寄り道をし、気がついたら働いた時間よりもはるかに長い時間を酒場で過ごしていることもあった。
「これじゃあダメだ。今日こそは飲み歩かないぞ」
と堅く心に決めて、心を鬼にして自分の部屋へ帰っても、けっきょく何をするでもなく、ダラダラと観なくてもいいテレビを観たり、ただ漫然とインターネットをサーフィンしたりしていた。
そんなことをやっていれば、いつまでも寝ない。どんどん夜更かしになり、朝は起きられず、それでまた仕事へ行く日になると、
「なんで仕事なんか行かなきゃいけないんだ。働いてるヒマなんかないのに!」
と独りで怒っているのである。
いま思えば、あれは心の容れ物がいっぱいであふれかえっているのに、その中身を出すという作業を手がけずに、仕事なんぞにうつつを抜かしていることに対して、私の心が怒っていたのだろう。
私は幼少期から虐待を受けてきた。
すべてをそのせいにするつもりはないが、やはり私を語るのに、このことは原点として捨て去るわけにいかない。
虐待の主犯は母親だったが、それを幇助している父親も、あるいは間接的に支えている世間も、私から見ればみんな加害者であった。
そういう加害者たちから受けた心傷というマイナスの刺激は、私の心の容れ物にギュウギュウと詰め込まれ、もう容れ物は破裂寸前になっていたのである。
だからこそ、私が言葉という道具を政治や経済など自分とちょくせつ関係のない物事に無駄遣いしていたときには、強迫やアトピーや喘息という言葉ではないかたちで、それらは外へはみ出していたのだろう。
そして今は仕事なんぞという、また関係ないことをやって、容れ物の中身を放置している。それで中身たちは不穏に腐敗し始め、
「おい、お前。働いてるヒマなんかあるのか」
というメタンガスをボコボコ発生させるようになっていたのだ。
そのため、私はたとえ高収入を得ても絶えず落ち着かず、焦りに駆られるようになったのだろう。
こうしたことが、ようやく自分の心の底辺まで降りた時に、まるでパズルのように一気に解けた。
それ以後、私は言葉を自分のことを書くために使うようになり、やがて強迫やアトピーや喘息などの症状が消えていったのである。
相変わらず私は働いていなかったが、精神的には自由になり、肉体的には健康になったといえる。
私と同じく、
「働いているヒマなどない」
という焦りを覚える方は、はたして世間にどのくらいいらっしゃるだろうか。
そういう方々も、きっと何か他に人生でやるべきことがあるから、そう思うのだろうと想像する。
しかし、いざ
「じゃあ、その『人生でやるべきこと』は何だ」
と問われると答えられない。
それが「見つかっていない」というよりも、まず「答えられない」のだ。
けれど「答えられない」ものは「存在しない」ものとはちがう。
それがたしかに存在する確信があるからこそ、答えられない自分がもどかしく、もだえ苦しんでおられるのではないか、と想いを馳せる。
・・・ひきこもりの考古学 第12回 へつづく
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOTの公式ブログの全記事が閲覧できなくされている。
著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
詳細情報 : https://lit.link/vosot
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