
文・キム·チョロン(김초롱)
翻訳・大草稔
編集・ぼそっと池井多
編集者による序文
ぼそっと池井多
2022年12月、韓国の国会では「ひきこもり支援法制定のための討論会」が開かれ、韓国内の複数のひきこもり当事者や家族が招かれて、国会議員たちが彼ら彼女らの生の声に耳を傾けた。
その際、ひきこもり経験者のキム・チョロンさんが行なった演説を、当時ソウルに住んでいた大草稔さんが日本語に翻訳してくれた。さらにそれを私が本誌HIKIPOSのガイドラインに沿い、事実関係が変わらないよう注意しながら日本語としての自然さを優先した表現に改め、編集したものが以下のテキストである。
したがって、キム・チョロンさんが演説した原文(*1)に比べると、逐語的には異なる部分もある。この日本語のテキストの文責は編集者であるぼそっと池井多にある。
*1. 原文はこちらから参照していただける。
https://bit.ly/4jKVgLO
bit.ly
ところで、キム・チョロンさんは「ひきこもり経験者」ではなく「ひきこもり克服当事者」と自称している。その呼称は日本ではあまり聞かないが、この点においては本人の意向を尊重し、そのまま採用した。
ひきこもりにまつわる問題の構造は、世界中どの国でもたいてい共通しており、とくに韓国と日本においてはそうである。しかし、とくに私がその中でもキム・チョロンさんの演説を日本のひきこもり関係者に紹介したい理由は、必ずしも彼女が言っていることすべてに私が同意するからではなく、彼女は自分がひきこもりに至った要因をきわめて客観的に分析し、家族と社会、精神世界と社会状況など、内外の要因を的確に関連づけていると思える点にある。

ひきこもり克服当事者の政策提言
キム·チョロン(김초롱)
こんにちは。私の名前はキムチョロンです。
私は現在30歳の女性で、17歳から28歳までの間、合計8年ほど断続的なひきこもりを繰り返しました。 8年とは、私がとちゅう何度も社会参加を試みた期間を除いた年月です。 つまり、私は8年間、社会とはいかなる関わりも持たないまま過ごしていました。
しかし結局、根本的な原因を解決できないまま試行錯誤を繰り返していたので、実際には10年以上ひきこもりと孤立生活を行ったり来たりしていたと考えていただくとよいと思います。

私は 20 代のほとんどをひきこもりからの回復とうつ病の治療に費やしました。
そうするうちに、28歳の時に社会的企業Kが主催した「隠遁の達人」(은둔고수)という約5ヶ月のプログラムを通じて再び社会につながり、その後はひきこもり当事者としてさまざまな活動をおこなってきました。
最近までは青年ハブが運営する居場所のマネージャーとして働き、そこへやってくるさまざまな青年たちから話を聞くことができました。 そのように当事者であり活動家でもある私が知っていることを、これからお話ししたいと思います。
ひきこもりのきっかけ
ひきこもりの始まりというものは、単純に一つや二つのきっかけで説明できるものではありません。一人の当事者がひきこもるまでには、非常に複雑な物語が存在します。
ひきこもりは個人と家庭の問題を越えて、社会的または当事者と家族が認知できない時代的な背景までもが多様に入り混じって誘発される現象だと思います。
そのため、当事者本人でさえ、自分がなぜひきこもるようになったのかを完全に把握することは非常に困難です。 ひきこもりをある程度克服した私も「自分がひきこもった原因をすでに完全に把握した」とは言えず、依然としてそれを知っていく途上にあります。
だから、私が話すひきこもり克服の過程は、すでに完結したものとして聞いてほしくありません。
私がひきこもることになった主な契機の中で明確に説明できる一つは「家庭内暴力による精神的後遺症」です。
私の父はIMF危機(*2)のときに事業に失敗し、大きな借金を負うことになりました。 父はストレスからアルコールに依存するようになり、家族に対して暴言や暴力を振るい始めました。 経済的にはその日暮らしのような生活になり、父はもちろん母も子どもの養育に十分な時間を費やせず、自らの感情とストレスを調節できないまま幼い私に否定的な言動を繰り返しました。
*2. IMF危機 1997年、タイの通貨バーツが暴落したのを機に、アジアのいくつかの国が通貨危機に陥った。日本では「アジア通貨危機」と呼ぶが、通貨に留まらず、それをきっかけに起こった各国の金融危機も併せて指すのが通例である。なかでも韓国は甚大な影響を受け、IMF(国際通貨基金)に救済を要請することになった。IMFは救済と差し替えに経済構造の抜本的な改革を韓国に要求した。ひと言でいえば新自由主義への転換である。韓国はこの痛みを伴う改革を受け入れるしかなかった。国民の間にはそれについていけない人々が多く出て、自殺率は2倍に跳ね上がった。
よく思い出せないほど幼い頃から、私の家庭の状況はそのようであり、いろいろな地域の1Kの部屋を引っ越しで転々とする間、家庭内暴力によるうつ病と複雑性PTSDに苦しむようになりました。
その問題を自分でもまともに認識できないまま、成長する過程で何度も否定的な対人関係を経験し、ますます無気力と抑うつに苦しめられるようになって、学業に専念するどころか基本的な出欠管理さえ難しくなってしまいました。
それでもその時、私と両親は、私の苦しみがうつ病のせいだという事実を知りませんでした。 そのため、学業をまともに遂行できない私に対して、両親はいっそう暴力的で明からさまな非難を日常的に浴びせるようになったのです。
学業と成績に対する葛藤は高校に進学してから本格的に悪化し、結局その葛藤と親から浴びせられる非難のために、うつ病がさらにひどくなるという悪循環に陥ることになりました。 登校時間に合わせて朝起きたり、シャワーを浴びたりすることもできないほど無気力になったので、私は退学を希望しましたが、両親との話し合いの末、17歳のときに通信制高校に転校することになりました。
いま振り返ってみると、私はその時すでにひきこもりだったと思われます。 修学能力試験(*3)を受けるまでほとんど社会的関係を結ばないまま生きていましたし、家から出ること自体も極端に少なかったのです。
*3. 修学能力試験 日本の大学入試共通テストにあたる
しばらくそのような生活を続けていましたが、通信制高校を卒業し、修学能力試験を受けた後は社会に入っていかなくてはならないという大きな不安を感じていました。 少しばかり無理をして、家からいちばん近い大学に入学し、何学期かは通うことができましたが、その間にもうつ病や家庭内葛藤など根本的な原因を解決できなかったので、再びうつ病がひどくなり、出席が足りなくて大学から除籍されました。
これに対し、私をめぐる家庭内の葛藤はさらに深刻化し、23歳になった時、父との激しい言い争いの末、ついに刃物で自分の首を刺して自殺を試みるに至りました。
私が自殺未遂のようなことをして初めて家族は私が大変な状況にあるということを理解し、私がたんに意志が弱くて怠けているのではないということに気づきました。
その時から家族は少しずつ私を支えてくれるようになりました。何よりもその時、私の命を救ってくれた医師が、どうやら私がうつ病のようだと両親を説得して精神科治療を勧めてくれたのが大きかったです。私はその時から本格的な治療を受けて精神的後遺症をゆっくり克服していくことができました。

ひきこもりが長期化した原因
両親の誤った養育のしかたと家庭内暴力は、私に多くの精神的後遺症を残しました。 しかし、私のひきこもりが長期化した原因は、家庭内暴力そのものよりも、いったん社会の圏外に押し出された人がなかなか再び社会に入っていけないという、社会全般に漂う雰囲気にあったと思われます。
どこかに履歴書を出し、そこに一年ほどの空白があったとき、留学などどこか遠くへ行っていたのでなければ、空白は良くないものと見なすという風潮が社会に蔓延しています。
私は、自分が厳しい家庭状況とさまざまな精神症状を経験しながらも、それを克服するために努力し、今まで何とか生き延びてきたという事実を誇りに思います。 しかし、社会の視線というフィルターを通すと、私はなんと8年もの長いあいだ何もせず無責任に遊んできた、ただの役立たずという存在になってしまうのです。
長い時間をかけてうつ病を治療し、「私も再スタートを切りたい」と思いましたが、当時そんな私を受け入れてくれる職場はどこにもありませんでした。 もちろん長いあいだ社会生活を送っていなかった私にとって、一般的な就職はハードルが高すぎるという気持ちが私自身にもありましたし、短期アルバイトを皮切りにゆっくりと社会へ入っていきたいと思いました。
しかし、アルバイトの面接を受けに行っても「あなたはもうアルバイトをしている年齢ではないだろう」と言われ、「それでは再びひきこもるしかないのか」と悩んだことがあります。
もしあの時、社会的企業Kの「隠遁の達人」プログラムに出会えなかったら、私は社会参加のゴールデンタイムを逃して再びひきこもり、けっきょく中高年ひきこもりになったり、さらに克服しにくいケースになったりしていたのかもしれません。
これは結局、今の韓国社会が過度に硬直したまま、生き方の多様性を排除しているからだと思います。 他人が行く道に同じようについていかなかったり、進学・就職・結婚などの人生のイベントを特定の年齢で遂行できなかったりすることに対して、皆が極度の不安感を共有しているのです。
一定の割合の人々が常に社会から弾き出されてしまう競争原理が支配する社会構造の中に置かれているにもかかわらず、誰かの失敗は社会構造のせいではなく個人の責任になってしまいます。
結局、家族も子どもが大変な状況にあるとか、助けを受けなければならない状態だということを理解せず、家族もそれを恥ずかしく思って、ひきこもり当事者を家の中に隠すことに汲々としています。
「時が来れば目を覚ますだろう」といった具合に問題解決を回避してしまうため、ひきこもりの早期治療や予防ができないまま、最悪の状況に至って初めて助けを求める場合がほとんどです。
すると、とうぜん克服にも長い時間がかかりますが、当事者とともに齢を取っていく親は大きな不安に苛まれ、けっきょく当事者の回復を待つことができず、引き続き当事者を非難するという悪循環におちいるのです。
このような不安がもたらした私の家族のなかの葛藤は、たんに私の両親が悪くて変な人だから起こったのではないと思います。
結局、この社会の構造と雰囲気が私の両親にそのような不安感を植えつけていたから起こったのでしょう。私の両親も、やはりそのような社会的な雰囲気を強要されて内在化した人々であり、誰よりもその実体のない不安をかかえて生きてきたので、子どもである私が少しでもその道から外れれば、大きな不安を覚えないわけにはいかなかったのです。
では、これは誰のせいでしょうか? 私だけの過ちでしょうか。 それとも私の両親のせいでしょうか?
そうではないと思います。
この社会は「誰でも熱心に勉強し努力すれば幸せな人生を送れる」という、実体もなく責任も持てない幻想を共有しているといえます。 しかし現実は、かろうじて社会の制度の圏内である教育とライフサイクルをまともに経てきた人々でさえ幸せではなく、青年たちは類を見ないスペック競争と努力不足という非難に苦しめられ、自身をむち打っています。
この競争に疲れて少しでも社会から押し出された人は、当然ながら居場所を見つけられなかったり、再び社会に入っていくまで長い時間がかかったりします。 それでは、そもそもひきこもる以外に道が設けられていないのと変わらないのではないでしょうか。
結局のところ、ひきこもりとは、この硬直し画一化された社会の最も象徴的で必然的な副作用だと思います。 決して何らかの別個の、または個人の特殊な問題ではありません。
今のように多様性を排除する競争的な社会構造と、失敗を個人の責任にする風潮が続くかぎり、ひきこもり問題は大きくなっていくことはあっても、決して小さくはならないでしょう。

どのような政策が必要か
それでは、ひきこもり問題を改善していくためにどのような政策が必要かについて提言していきたいと思います。
ひきこもりの研究と認識の拡大改善
第一に、ひきこもりに関する研究と社会的認識の拡大と改善が必要です。
私も自分がひきこもりだということを知らなかったし、自分がひきこもりをしていることすら知りませんでした。 精神医療はうつ病の克服に役立ちましたが、当時は精神科医ですらひきこもりという概念がよくわかっていなかったようなので、専門家による見方にも限界があったと思います。ようやくひきこもりという概念が社会的に広がり始め、少しずつ関心度が高まっていますが、依然としてひきこもりに対する研究と社会的議論は不足していると思われます。
当事者のスクリーニング
第二に、支援を受ける当事者に対するスクリーニングと明確な支援プロセスが必要です。
これは私が当事者活動をしながら最も切実に感じた点です。 私はこれまで、さまざまな場所でひきこもりの当事者であり活動家として働いてきました。
ところが、支援を受けに来た人々のケースはあまりに多様でした。自閉症または発達障害・パーソナリティ障害・境界知能・うつ病や統合失調症など、精神医学の専門家による介入が同時に行われなければならない人たちがいました。まったく異なるアプローチが必要な問題を持っている人たちもいました。
それを親も本人もよく分かっていなくて、ただ「何か支援してくれる」というので来てみたとか、とりあえず支援を受けに行けばたちどころにひきこもりは克服できるだろうなどと漠然と考えている人たちが多かったのです。
そのため、ひきこもりという名前の下、さまざまな問題の当事者が集まったまま、相応しくもない種類の支援に押し込まれている場合が少なくありません。
支援を受ければ克服できる問題と、そもそも克服という語が使えない問題に対するアプローチは異なるものでなければなりません。したがって、そのためのスクリーニング作業が、該当する問題をかかえている当事者と家族に対する教育として必要だと思われます。
これは当事者を「ひきこもりか、ひきこもりではないか」という単純な基準ではっきりと線引きしようという意味ではありません。 一人のひきこもり当事者でも、さまざまな原因が混在し、中には「克服」したり「治療」できない問題が混ざっている可能性があるため、当事者の状態をきちんと把握しなければならないという意味です。
したがって、支援政策のプロセスと方向性を明確にする必要があります。 このような多様な支援策のためには、各省庁および専門家、関係機関の間の柔軟な協議も必要かと思われます。
家族を対象にする支援
第三に、支援の方針は当事者自身だけでなく、家族全体を対象とする必要があります。
当事者だけに「相談を受けなさい、教育を受けなさい」と言うのは、けっきょく当事者一人だけが変われば解決される問題だというシグナルを送っているのに他なりません。
ところが実際は、当事者だけでなく、親の考えと認識も変わらなければならず、ひいては周辺の人々、そして究極的には社会全体も変わらなければならないのです。
何よりも最善の予防策としては、これから親になる人々、あるいはすでに親になった人々に対する基本的な役割やコミュニケーションに対する教育が必要です。 同時に、現在の当事者と同じくらい大変な時間を一緒に過ごさなければならない家族に対する心理的支援など、多様な家族支援が同時に行われなければなりません。
長期的な支援
第四に、一回限りではなく長期的な支援を想定する必要があります。
心理相談や社会的リハビリ、または職業訓練などの全般的なプロセスはもちろん、その一つ一つのプロセス自体にも長い期間が必要です。
ひきこもりそのものが一夜にして発生した問題ではないだけに、克服と社会復帰には必ず試行錯誤と時間がかかります。 個人的には、ひきこもった期間と克服にかかる期間はある程度比例すると見て差し支えないと思われます。 社会生活を送れなかった期間の分の適応期間を必要としていると考えていただければよいでしょう。
つまり、当事者が単純に部屋の外に出ればひきこもり問題は解決されたと考えるのではなく、さまざまな心理的問題とバーンアウト(燃え尽き)がひきこもり克服のプロセスのなかで必然的に起こると考えるべきなのです。その間には再びひきこもることもあります。
でも、たとえ再びひきこもったとしても、支援機関がいつも手の届くところにあって、そこで誰かが待ってくれているなら、一度でも部屋の外に出た人は必ずやまた出てくるでしょう。そのように再びひきこもる期間までも支援期間として想定した長期的支援が必要です。
当事者活動への支援
第五に、ひきこもり当事者のコミュニティへの支援が必要です。
心理相談や精神医療などの専門家によるアプローチは私におおいに役立った一方で、明らかな限界を感じる点もありました。専門家には遂行できない、心のつながりという支持的な側面と、若者が所属感を感じることのできる当事者のコミュニティがもっと多くならなければいけません。
私の場合は、「隠遁の達人」という当事者コミュニティがなかったら、決して今のような段階までひきこもりを克服することができなかったと確信しています。

今この瞬間にもひきこもりを克服するために努力し、一線で活動している当事者たちが大勢います。 彼らもやはり完全にひきこもりを克服したわけではなく、依然として治癒と社会参加のプロセスを経て、さまざまな困難を経験している最中であると思います。
まだひきこもりをすでに克服した先例は簡単に見つけることができないので、当事者にしかわからない当事者の困難を分かち合えるコミュニティの存在は無視できない重要性を発揮しています。
それぞれの方法でひきこもりを克服した当事者の存在は良い先例となり、先輩活動家やピアサポーターとして活用される価値もまた計り知れないことでしょう。
地方への拡大
第六に、支援政策の全国的な拡大が必要です。
当時、地方に住んでいた私には、ひきこもり当事者として受けられる支援はありませんでした。自分に合う精神科を選択できる社会的インフラも整っていなかったので、あのころ偶然に首都ソウルに来る機会が与えられなかったら、今も依然として私は支援を受けられないままひきこもっていたはずです。
経済水準で制限せず
最後に、支援政策は当事者の経済水準に関係なく行われなければなりません。
ひきこもりは、経済レベルとは関係なく発生する問題です。 親との葛藤が生じやすい問題であるだけに、むしろ克服のためには親からの経済的支援を受けるのが難しい場合も多いです。 いかなる条件も設けず、多様な当事者を助けることができる環境づくりが後押しされなければなりません。
終わりに
ありがたくも多くの方々の助けを得て、私は長い間ひきこもってきた当事者として今日この場に立っています。 支えてくれる周辺の人々と支援者の方々、そしてひきこもり当事者のコミュニティがなかったら、決して私は一人でひきこもりを克服することはできなかったでしょう。
今後さらにひきこもりに関する社会的関心と支援が拡大し、より多くの当事者が助けられることを希望いたします。 まだ今は当事者が助けを求める手を伸ばしても、限りある支援の中では彼らの手を握ることが難しい状況です。
私を助けてくださった業界従事者の方々がこのような制限の中で日々とても苦労して働いていらっしゃるようで、それを横で見守ってきた当事者としてはそれもまた胸が痛みます。 研究者や実務者の方々が、より豊かで安定した環境で私のような当事者を助けることができればと思います。
ご清聴ありがとうございました。
