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ひきこもり家族会は何のために存在するのか 〜 家族会の未来に向けて 井口(仮)さん当事者手記 第7回

画:ぼそっと池井多 with Stable Diffusion 1.5 + Adobe Photoshop 2023

 

文・井口(仮)

・・・・第6回からのつづき

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ひきこもりの家族会(親の会)に参加している時、
いつも葛藤していることがあります。

それは、
本当に話したいことが話せないということです。


......


僕は昔、
当事者がいないところで親同士が集まって話をしても、
何の意味もない、
と思っていました。

親たちにとっての癒しの場としては意味があっても、
ひきこもり状況を作り出している根本的な問題の解決にはならないと思っていました。

この点については、
親が癒されて元気になれば、
社会参加や社会生活に困難を抱えている子ども(本人)にも良い影響がある、
という考え方があると思います。

親同士で抱えている不安や不満を話し合って、
それらを解消したいという気持ちも分かります。

しかし、
例え家族会に参加している間は癒やされても、
家に帰ればこれまでと変わらぬ現実が続いていく状況に悩んでいる、
という親御さんはいるような気がします。

それに、
せっかくなら、
家族会に参加しているご家族の子ども(=本人)が抱えている問題を解決する方法を考えたり、
子どもの問題意識について話し合った方が、
有意義な時間になり、
良い結果につながるような気がします。

良い結果につながらなくても、
有意義な時間になればいい...。

僕自身は自分の現実をかえりみても、
具体的な問題解決を目指す道を提案したい、
という想いがあります。

もちろん、
問題を解決する方法を考えたり、
問題意識を語り合う場だけでは疲れてしまう可能性があるので、
癒しの場としての家族会も必要だと思います。

そのため、
癒しの場としての家族会と、
具体的な問題を解決するための家族会の、
2種類の家族会があれば、
癒しを求めている人と具体的な問題解決をしたい人、
両方のニーズを満たせるかもしれません。

 

ある家族会で言われた言葉

約14年前、
ある親の会に参加した時のことでした。
その集まりには男性の支援者2人を囲むように参加者である母親達が座っていました。

僕はその集まりで、
初めて求職活動をした際に訪れた就労支援機関で不適切な対応を受け、
そのことを世の中に訴えたい、
ということを話しました。

それに対して「訴えるなんてケチ臭いこと言わずに自分で...(何かをすれば良いじゃないか、というようなことをおっしゃっていましたが、正確に覚えていません)」
と言いました。
「ケチ臭い」という表現も良い気がしませんでしたが、
「自分で〜すれば良い」
という言い方が当時の僕には厳しく感じました。

就労支援機関で不適切な対応を受けたと感じた際、
支援機関を調査する存在が必要だと東京しごとセンターや厚生労働省に訴えた時、
同じように、
「自分で調査する団体を立ち上げれば良いのではないか」
と言われたことがあります。

これまで社会に参加しておらず、
社会能力に乏しい僕に調査する団体を立ち上げることを勧めることに、
当時の僕は憤りを感じました。
それ以上に、
支援機関が適切な支援を行っているかどうかを調査する役割を、
当事者に投げていることにも、
やはり憤りを感じました。

でも、
その後、
あらゆる集まりでこのことを伝えても共感する人が現れなかったということは、
その対応は、
世の中的には、あるいは、ひきこもり界隈的には、一般的なのかもしれません。

それでも僕は、
「訴えるなんてケチ臭いこと言わずに自分で...」
とおっしゃった支援者の態度に憤りを感じていました。

その支援者の態度にも憤りを感じましたが、
そんな支援者を頼って集まって輪を作っている母親達には、憤り以上に悲しい気持ちを感じていました(しかもその中の1人の方の顔が僕の母親の顔に似ていた)。

母親たちが専門家や支援者と呼ばれる人を頼って集まっていることへの憤りや悲しさは、
家族会に参加するたびに感じています。

 

何を目的に家族会に来ているのか

また、
別の集まりでのこと。

ひきこもり当事者の親の立場の人が、
「治るんですか?
治るまでにどれくらい掛かるんですか?」
と、支援者と名乗る男性に対して懇願するように詰め寄っている様子を見て、
僕は憤りを隠せませんでした。

「ひきこもりは病気じゃないと言われているのに、何で治るかどうか支援者に対して答えを求めているんですか?」
というようなことを、
僕はやや声を荒げて批判的に言いました。

当時の僕は、
ひきこもりなどの困難を抱えた当事者の人たちの家族会で、主に母親の立場の人たちの振る舞いに対して感じた憤りを、
そのまま伝えてしまうことが何度かありました。

今はだいぶ丸くなって、
憤りを感じるような発言があっても、

「親御さんはあくまで癒し目的に来ているのだから本質的な話ができなくても仕方ない」

そのように自分を言い聞かせて、
憤りの気持ちを表現しないようにしています。

そのような状況ですが、
僕は親御さんたちに、

「家族会には何の目的で来ているのですか?
癒しのためですか?
問題解決のためですか?
それとも両方ですか?
それ以外の目的ですか?」

これらの質問をあらゆる家族会で問いかけてみたい気持ちがあります。

もし、
すべてのご家族の人たちが家族会には癒しの場を求めて参加している、
と答えたとしたら、
僕は癒しの場としての家族会以外に、
問題解決のための話し合いをするための家族会をつくることを提案したいと思います。

ただ、
実際に質問をしても、
素直な回答を得られない可能性があります。

 

対話の場としての家族会

例えば、
これも約14年前、
ある家族会で、
僕は次のような質問をしました。

「皆さんは、
お子さんがひきこもったり、
社会生活に困難を感じている、
その状況を解決したいと思いますか?」

すると、
母親達はお互いに顔を合わせながら全員が首を横に振りました。

僕はその様子を見て、
ひきこもりの問題を解決することは難しくはないが、
ひきこもりの問題の難しさを感じました。

仮に、
家族会では
自分達の状況について話をして、
その話を聴いてもらうことで癒しを得て満足する。
そして家族会以外の場所で、
支援者と協力して具体的な問題解決を考えていく、
という形ができていて、
それで上手くいっているのならそれでも構わないと思います。

でも、
もし、
家族会以外で有効な解決法が見つからないという状況であれば、
家族会に集まった人たちで問題解決のための有意義な対話をすることを、
提案したいです。

......

地域には、
癒しの場としての、
気軽な雑談や真剣な話し合いの両方ができる居場所がもっとあっても良いと思います。

ひきこもりの問題だったら、
ひきこもりという枠に限定する必要はないと思いますが、
癒しの場としての、
気軽な雑談から真剣な話し合いまで、
幅広く話ができる当事者会や家族会がもっとあっても良いと思います。

その上で、
今は実質的には存在しないであろう、
問題解決のための対話の場の実現を願っています。

 

【追記1】
例えば、
癒しの場(現在の自分や家族の状況を話したり、愚痴や不満、不安などを吐き出せるような場)としての家族会に加えて、
オープンダイアローグを用いた家族会を設ける、というのも面白いと思います。
オープンダイアローグでは問題解決は期待できませんが、
コミュニティで悩みを共有することにより、
問題解決のための関係性やネットワークを築ける可能性があります。

(もちろん、
対話の形式についてはオープンダイアローグにこだわる必要はないと思います。)

 

【追記2】
ある、ひきこもり家族会で、
「自分の子どもとの問題を解決するためのヒントを得たいと思って参加しにきた」
と明確に、
かつ切実に参加目的を語って下さった親御さんがいらっしゃいました。

そのくらい真剣に、
必死の想いで参加して下さると、
やはり嬉しくなります。

僕も本気で何とかしたいという気持ちで親御さんと向き合い、
この場にいない引きこもっている本人のことを、本気で考えることができます。


著者註
癒しのための家族会と言っても、
地域家族会の場合は、
ただ単に楽しい話をしたり、
慰め合うだけでなく、
真面目で切実な話もできる場をイメージしています。

  
その中にものすごく癒し度が高い集まりと、
超硬い真面目で切実な話が中心の集まりがあると、多様性があって良いのかもしれません。

 

……第7回へつづく

 

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