ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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フランスのひきこもり当事者アエルの激白 最終回「ひきこもりという『解決』」

画:アエル
 
 
 
<前回までのあらすじ>
フランスのひきこもり当事者アエルが、どのように自分がひきこもりになったかをつぶさに思い出し、赤裸々な告白をするシリーズ。本人の希望により、日本語のみの配信。

5歳の時にベビーシッターから性虐待にあい、被害者であるにもかかわらず両親から叱られたことで、アエルはひどく傷つく。幼くして人間不信を宿した彼は、学校でも人間関係がうまく結べない。
18歳を迎え、専門学校に通うようになると、ドラッグをおぼえ、薬物を通じて初めて「友達」を持てた気がした。毎週末のように、マリファナを仕入れに近くの大きな街マルセイユへ、彼のクルマで「友達」といっしょに繰り出す。そんな中、彼は事故を起こし、クルマは使い物にならなくなった。「友達」はもう誰も相手にしてくれなくなり、クルマを持っている彼を利用していただけだったとわかるのであった。

 

 

文・アエル
翻訳・構成 ぼそっと池井多

 

 

 

幸せを演じた果てに

ぼくは、ぼくを「友達」などと呼んでいたやつらとの関係を切り、マルセイユに下宿して生活スタイルを変えようとした。
 
ルームメイトは、ぼくにいっさい関心を示さない奴だった。
それがぼくには心地よかった。
 
でも、そのうちに、ぼくはまた友達が欲しくなった。
専門学校の仲間のなかで、マリファナを吸う奴を見つけ、彼と毎日、昼食の時間に学校から街へ出た。
疲れて学校に帰ってきて、教室ではもっぱら寝た。
もう、何もかも、どうでもよかった。
 
二年生になって、もうぼくは学校にも出ていかなくなり、日ねもす下宿にひきこもるようになった。
マリファナだけは吸ったので、ぼくはどんどん食事をしなくなっていった。
 
週末は、郊外にある両親の家に帰ったけれど、様子を尋ねる両親に対して、ぼくはマルセイユでの下宿生活を「楽しんでいる」様子をさかんに演出した。
 
両親は、ぼくのほんとうの生活を知らなかった。
ほんとうのぼくは、毎日マルセイユの下宿で、友達欲しさ、さびしさを抱きしめながら一人ひきこもっていたのに。
 
そんなある日、ぼくは2箱の睡眠薬をのんで自殺を図った。
 
画:アエル
 
うすらいだ意識の中で憶えているのは、ひごろぼくに無関心だったルームメイトが通報して、消防士たちがぼくの部屋に突入してきたことだ。
 
それから2週間、ぼくはこんこんと眠りつづけた。
 
自殺未遂したときの記憶はぼんやりとしていて、よくおぼえていない。
 
でも、ルームメイトがぼくの両親を呼んで、父親が姉を連れて小さな車でやってきて、ぼくをマルセイユの下宿から郊外の実家へ連れ帰った。
 
ぼくは、再び両親と暮らすことになるのがいやで、最初はあらがった。
 
過去に、数々の理不尽を経験してきたこの両親の家は、ぼくには耐えがたい場所であり、そこでまた暮らすなんて、まっぴらごめんだったからだ。
 
ここでは、何かが起こるたびに、すべてはぼくのせいになるのだった。
 

母親の目の前で

父親は言った。
「わかった、息子よ。もう私はお前には何も期待しない。
なんでもお前が好きなようにやるがよい」
 
しかし、母親はぼくに対する期待を捨てきれなかったと見えて、やがてぼくを他の専門学校に入れた。
ぼくは仕方なくそこへ1年通ったけれど、いいかげん我慢できなくなったから、
「ママン。これ以上、ぼくをあの学校に行かせるなら、ぼくは自殺してやるからな」
と言ってやった。
 
何度か、そのような口論が起こったあと、ぼくは庭へ下りていって、母親の目の前で毒性の植物を嚥みこんで、自殺を図った。
 
毒は弱く、ぼくは死ぬには至らなかったけれど、これで母親も懲りたらしく、それからは「あれをやれ」「これをやれ」とはあまり言わなくなった。
 
そのかわり、母親はぼくを精神科に通わせようとし始めた。
これにもぼくは頑固に抵抗した。
 
あんなところは始末に負えないキ〇ガイが行くものであって、ぼくのように正常な精神の持ち主が行く必要はないのだ。
 
母親はあきらめて、シャレーのような小屋を庭先に購入し、そこをぼくの住処としてくれた。ぼくの家は、たいして金持ちではないが、田舎の家なので、庭だけは広いのだ。
 
小屋の狭い空間の中で、ぼくがたくましく社会で生きていける力を培ってくれるように、と母親は願ったものらしい。
これが現在に至るまで、ぼくの「ひきこもり部屋」となっているわけさ。
 
 

いったい何の薬なのか、効かなかった

でも、ぼくの中で、たくましく社会で生きていける力なんてものは、もうとっくの昔に死に絶えていた。
ぼくにとって人生とは、すでに耐えて耐えて耐え続けることでしかなかった。
 
ぼくはそれからも何回も自殺を図ろうとして、両親が病院からもらっている薬をオーバードーズしてやった。
しかし、あれらはいったい何の薬だったのか、どれもこれも、いくら嚥んでも、いっこうにぼくが死ぬようには効かなかった。
 
そのかわり、ぼくはさんざん怒鳴りつけられた。
 
「あんた、またお母さんたちの薬のんで、 死のうとしたの?!」
 
「この、どうしようもない薬物中毒め!」
 
「まったく性根が腐りきっていやがる!」
 
いつも、悪いのはぼくだった。
それも、ぼくだけ。
 
そんなぼくをなぐさめてくれるのは、マリファナだけだった。
 
 

嵐のあと

あれは、ちょうどぼくの誕生日だった。
ぼくは警察につかまった。
 
警察は、薬物が取り引きがされている所から、20メートルぐらい離れた、路地の入り口で待ち構えていて、道行く者を片っ端から取り調べていた。
たまったもんじゃない。これじゃあ、逃れられない。
 
その前日にも吸っていたのだから、痕跡を消せるわけがない。
尿検査と血液検査は陽性と出てしまった。
というわけで、その年のぼくの誕生日は、一日中、牢屋のなかで過ごしたってわけだ。
 
尿臭のただよう留置場。
薬物に関する「啓蒙教育」。
そして、手痛い罰金。
2ヶ月の免許停止、さらに減点。
 
これらを経て、ぼくの両親はさぞかし息子を誇りに思ったのにちがいない。
 
いいさ、どうせ初めから何をやっても「ぼくが悪い」ということになるのだから、さぞかしこれが順当な展開だったことだろう。
 
 
画:アエル
 
 
この事件があって、両親と大喧嘩をしたぼくは、勢いで今まであったすべてのことを語ってしまった。
 
幼少期に受けた性虐待。
 
鬱状態。
 
子どものころからつきまとう死にたい願望。
 
ぼくが受け続けてきた不正義と不条理。
 
ちがう、ちがうんだ。
ぼくのせいじゃないんだ。
ぼくが悪くてこうなったんじゃないんだ。
 
そういうことすべてを、一気に両親にぶちまけてやったのさ。
 
ママンは言った。
 
「なぜ、もっと早く言わなかったの」
 
ぼくは答えた。
 
「何度も言おうとしたさ。
でも、そのたびにママは、ぼくの言うことを聞いてくれなくて、ぼくを叱りつけるだけだったじゃないか!

 

ぼくが性虐待されているころだって、ママはぼくだけを叱りつづけているだけだったさ!」
 
 
 
 
この夜から、両親は静かになった。
もう家の中での激しい口喧嘩も起こらなくなった。
 
これでようやく、ぼくは、庭に作られた小屋の中にひきこもって、ぼくの人生を、本格的に始められるようになったというわけだ。
 
小屋の中を真っ暗にして、ぼくがインターネットの大洋へ漕ぎ出だしたのが、このころだ。
 
それから13年が経つ。
 
 
 (完)
 
 

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