文・ぼそっと池井多
不在の母
「パパ、殴ってやって」
母が命じる。
背中を丸めている私の背後で、にわか刑吏となった父が、ズボンからベルトを引き抜く音が聞こえる。
あの瞬間の恐怖と屈辱。
やがて父のベルトは、ダンゴムシのように固まって無力となった私の上に降ってくる…。
6月1日に東京・練馬区で起こった元農水事務次官、熊澤英昭容疑者によるひきこもり長男殺害事件の報道を聞いたとき、私の脳裡にそんな過去の記憶がよみがえった。5,6歳のころの記憶だと思われる。
なぜ、よみがえるのがそのシーンなのか、しばらく自分でもわからなかった。どうやら事件の深層が、私の太古の感覚を刺激したようなのである。
ワイドショーなどを見ていると、コメンテーターたちの解説は、たいていこのような鋳型に流れこんでいった。……
我が子を殺した父親はキャリア官僚だった。在職していたころは多忙を極め、家にはほとんど帰らず、子育ては妻に任せっきりだった。だから、長男は怒りをすべて母親に向けるようになった。
子育てから目を背けてきた父親は、退職して初めて、自分が築いた家庭の中の実態に直面した。そこには、子育てのごく初期に犯したちょっとした間違いが、手がつけられないまでにふくれ上がっていた。すなわち、暴力的な道楽息子である。
そこで、せめてそれからは遅ればせながら「子育て」に参画することにした。何かと長男に言葉をかけ、小遣いをやったが、事態は悪化する一方で、万策が尽きていった。その果てに、妻をかばい、自らが手を汚して、子育ての責任を取ったのである。すなわち、殺人。
これは、何も日本社会のトップであるキャリア官僚にかぎらない。昭和の父たちの共通点である。
高度成長期、働けば働くほど稼ぎになった時代。父親たちは仕事に追われて家に帰らず、子育ては母親に任せきりであった。母親は子育ての専門家でもないのに子育てに縛りつけられ、その結果、情緒不安定になり、「感情廃棄物」を子どもにぶつけ、子どもはグレたり、ひきこもりになったりした。だから、ひきこもりは社会の問題なのだ。……
私は首をかしげて聞いていた。「はたしてそうなのだろうか。それだけなのか」と。
ひきこもりは、既存の社会への不適応や拒絶の様態を、すべて「ひきこもり」という語でひっくるめていく無理もあって、じつは一つとして同じ事例がない。
ひきこもりに至った経緯やひきこもりをめぐる環境を細かく見ていくと、見事なまでに皆ちがう。だから、当事者は他の当事者を代表できないのである。
そのため、私が胸を張って語れるのは、私というひきこもりの事例だけである。
私の父は、たしかに昭和の高度成長期に父親だったかもしれないが、下っ端の平社員だったことが幸いして、だいたい定時に家へ帰ってきた。夕餉の卓には、ほぼ毎日ついていたように思う。仕事の得意先の接待や、同僚とのお疲れ会などで、帰りが終電近くになることはあったが、せいぜい週一回だったような気がする。
また、私の母も子育てに専念していたわけではない。バイタリティーが有り余っていたのか、存在理由が欲しかったのか、動機はわからないが、母は家の中で生徒を教え、学習塾を展開し、学校のPTAまで手を広げていた。けっして長男である私という存在が、母のエロスを発散する唯一のはけ口ではなかったはずである。
それでも私は母に日々、感情廃棄物をぶつけられた。そこで受けていた精神的な虐待については、私自身が語るよりも、はるかに首尾よくまとめてくれた別メディアの記事がある。(*1)。
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*1.母親に、ひきこもりの時限爆弾を埋め込まれた
日経DUAL 2019.03.06 有馬知子さんによる記事
私の母の虐待も「社会の問題」ということにしてしまえば、母は永久に責任を追及されないで済むだろう。そのわりには、母はなんでもかんでも幼い私に、
「責任を取りなさい。人は、自分のやったことには責任を取るものよ」
と執拗に、ときに何か月も、何年もかけて追及してきたものである。
その責任を取るという行為が、たとえば冒頭に述べたように、犯してもいない罪のために、冷たい冬のフロアにひざまずかされ、父のベルトで打たれる「家庭内処刑」であったりした。
母は、虐待でも何でも、やるだけやって、あとは奥へ引っ込んでしまい、後始末は父に任せるのであった。
……そこへ思い至って、ようやく私は、なぜ今回の練馬の事件が、冒頭に掲げた私の太古の記憶につながったのかが理解された。
練馬の事件で、いっこうに表に出てこないのは母親である。ある意味、殺されてしまった長男本人よりも、母親の存在は私たちから奥へ覆い隠されている。
その不在ぶりが、私の母を想わせるのだ。
元・高級官僚の妻、殺された長男の母親は、いま何を想っているのだろうか。
暗く長い道程
今回、殺された長男は、母親が長男のプラモデルを壊したために、
「自分の犯した罪の大きさを思い知れ」
といっていたらしい。(*2)
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*2.長男の暴力は中学から 父親の元農水次官「身の危険感じた」
NHK NEWS WEB 2019年6月3日
また、さかんに「愚母」「死ね」などとツイートしていたともいう。
そこに私は、自分自身を見る。隠している不穏な感情を公衆の面前に引きずり出されたようで、50代ひきこもり当事者の私はたじろぐ。
このような凶暴さに警戒感を強め、父親がいわば母親のガードマンとして表に出てきた感がある。
そして、川崎殺傷事件の前には、すでに長男を殺す意思を妻に語っていたらしい。(*3)
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*3.「また暴力振るわれたら長男に危害」元次官、妻に伝える
朝日新聞デジタル 2019年6月4日11時29分
「プラモデルを壊したくらいで、お母さんを殺してやろうだなんて、なんとひどい長男なんでしょう。そんな長男ならば、殺されて当然。さすが元・官僚のお父さん、よくやった」
というのが、どうやら世間の声の最大公約数である。
その中には、ひきこもりと関係ない一般市民もいれば、ひきこもりという存在に苛立っている親御さんもいることだろう。
しかし、じっさいは、長男が母親を殺してやろうと思ったのは、なにも「プラモデルを壊したくらいで」ではなかったのではないか、というのが私の推測である。
必ずやそこに到るまでの長い道程があり、「プラモデル」はほんの最後のきっかけにすぎなかった。同じように息子を殺した父親にとっても、川崎の事件を知ったことは、決心を固める最後のきっかけにすぎなかったのだろう。
私がそのように想像する根拠は、「ひ老会」(*4)や「ひきこもり親子 公開対論」(*5)といった、長期高齢化したひきこもりに関する対話の場を作らせていただくなかで、ひきこもりを持つ親御さんから個人的にお話を伺い、この熊澤家とあまり違わない状況に、いま現在も悩んでおられる家庭に出くわすからである。対話の場を飛び出して、支援者ではなく一人の当事者として、ご家庭にお邪魔することもある。
そういう泥沼でもがいているひきこもり当事者にかぎって、ひきこもり界隈のイベントや居場所には出てこない。出てこられない、ということもあるのだろう。また、出てこないから暴力的になっている、という悪循環も起こっているように思う。
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*4.「ひ老会」とは何か
*5. ひきこもり親子 公開対論の出発点
居場所にも出てこられないひきこもり当事者
イベントや居場所を開催する立場の者は、いま「暴力的な道楽息子」として語られるような当事者層について、あまり詳しい情報が得られないことが多い。自分たちがやっている場に出てこない者を、深く知る術はないのである。
そこで、たとえば今回のような事件が続発して、外部メディアから質問が来た時に、とりあえず、
「ひきこもりは皆まじめでやさしい、勤勉な人たちなのです。差別するのはやめてください」
とだけ訴えることになる。
こういったステートメントは間違ってはいない。ひきこもりに対する不当な差別の助長を防ぐために必要である。だから、私も川崎の事件が起こってから、随所でそう申し上げてきた。
ところが、いつまでも私たちの言及がそこに留まっていると、今度はその死角で、一触即発の不穏な空気を生きているひきこもり家庭の悩みが捨象されたまま、いまや日本社会を揺るがす「ひきこもり問題」が考えられていく恐れが出てくるのだ。
練馬の事件に立ち返ると、私はとうぜん殺された長男に自分を投影する。そして、あんなふうに親に殺されてはたまらないと思う。
川崎事件の岩崎容疑者や、練馬事件で殺された長男のようなひきこもりは、当事者層のなかで極わずかだろう。だから、それをもって、ひきこもり当事者全体を捉えてもらっては困るわけだが、極わずかでも存在するということは、そうしたどん詰まりの状況からの脱出を切実に望んでいる人々がいるという事実を意味する。
このように考えていくと、今日どうする、明日はどうなる、といった切迫感をもって悩んでいる親御さんたちの前で、
「誰も悪くありません。これは家族の問題ではなく、社会の問題だから、みんなで考えていきましょう」
などと言って、その場を立ち去ることは、どうしても現実から逃避しているような気分になる。そうかといって、かれら個別の家庭に、毎日寄り添うことのできる支援者などいるべくもない。
ひきこもりを恥から解き放つ
では、どうすればよいのか。
私は、即効性はないが、まずは個々の親御さんに恥の概念から解き放たれていただくことだと考えている。
練馬の事件の父親、熊澤容疑者も、トップ官僚の重責を担ってきた人であるだけに、さぞかしあらゆる分野の見識を持ち、それらを総動員してあれこれと考え、国家権力の中枢にあった者として一般国民の範を示すべく、覚悟のうえで今回の凶行を実行したのだろう。けっして賛同はできないし、むしろ殺された長男に自己投影する私であるが、「敵方」にあたる熊澤容疑者へ、
「どんなに困っても、自分の子を殺しちゃあダメでしょう」
などと薄っぺらな批判を投げつける気になれないのである。
彼はプライドと自負があったがゆえに、
「自分の家庭のなかの問題で、行政や関連団体など、他の人々に相談するというのは恥である。自分の手で始末するのが、完成した市民としての子育て失敗への責任の取り方である」
と考えてしまったのではないか。
そこに私は異論を呈するだろう。この恥を、もし彼が今までに解き放っていたら、はたして今回のような結論になっていただろうか。
ひきこもりを恥から解き放つべく、私は3月から「ひきこもり親子 公開対論」というイベントを不定期に開催している。
「自分の家の中のことなど、人前で語れるか!」
というこれまでの矜持を、親御さんたちにはいったん棚上げにしていただき、もっとひきこもりという事実を、社会における当たり前の現象の一つとして市民的に語ってもらう企画である。
子の立場である私たちひきこもり当事者たちにも、へたな遠慮はせず、親の立場の言い分や怒りや悲しみや悩みを率直に壇上でぶつけてもらう。この「壇上へあがる」というところが重要である。
「そんなみっともないことはできない」という親御さんには、私はきっとこう問うことだろう。
「いいでしょう。あなたには家の中のことを秘し、状況を停滞させる自由がある。
もしかして、あなたの家も練馬事件のような結末にしたいのですか」
と。
< 筆者プロフィール >
ぼそっと池井多 :まだ「ひきこもり」という語が社会に存在しなかった1980年代からひきこもり始め、以後ひきこもりの形態を変えながら断続的に30余年ひきこもっている。当事者の生の声を当事者たちの手で社会へ発信する「VOSOT(ぼそっとプロジェクト)」主宰。
facebook: vosot.ikeida
twitter: @vosot_just