(編集 喜久井ヤシン)
今回は、アーティストの山本菜々子さんの作品をご紹介。山本菜々子さんは、不登校・ひきこもりの経験を経て、現在はデザインの仕事をしています。「自分」とは何か。「表現」とは何か。さまざまな痛みが描かれた作品には、社会の中での生きづらさが宿っています。作家自身の言葉とともに、絵による自伝をお届けします。
2002年 いつも死ぬことばかり考えていた
私は自分がとても嫌いでした。女性であることも、容姿も、中身も、存在していること自体が憎らしかった。いつも死ぬことばかり考えていました。
「除虫」257㎜×182㎜
「高速道路と鉄塔」540㎜×380㎜
不登校をした友人たちの間では、自分の好きなことの金くらいは自分で稼がないと、偽物だという話がされていました。私は偽物になりたくなくて、必死でバイトをしましたが、とても苦しくて続きませんでした。
「本屋のレジの呪文」540㎜×380㎜
働けない事はイコール偽物ということを示していました。表現者になって世の中を見返すことが生きがいだった私は、自分には表現をする資格も生きている資格もないと思い、苦しくなりました。
「将来有望」540㎜×380㎜
2003-2004年 死にたい、ほど生きたかった
私は19歳の時、シューレ大学(※1)というオルタナティブ大学へ入学しました。私はそこで年度活動報告として、自分の経験を整理して文章に書きました。そこで自分の経験を振り返って整理するうち、今まで自分が感じてきた社会的な「こうあるべき」という価値観を人間の条件のように感じ、自ら内面化して縛っていることに気がつきました。
「乖離中」297㎜×420㎜
それまで死にたかったのは、自分が行きたい方向へ行こうとする時、その条件を満たせない自分を自己否定していたからだったのです。私は死にたいほど、生きたかったのでした。
「無題」728㎜×515㎜
2005年 自分の価値
私はシューレ大学で、今までにないほど人間として扱ってもらいました。シューレ大学の人たちは、私の苦しみを受け止めてくれ、私の気持ちに寄り添ってくれました。
それまでは、友人の輪の中にある規範に怯え、そこから少しでも外れれば偽物とみなされるので、自分の好きなものを素直に絵に描くことはできませんでした。人と一緒にいれば我慢させられ、判断され、行動を縛られる。私は人が嫌いだと思っていました。
「自画像」540㎜×380㎜
それなのにシューレ大学の人たちは、私の話を聞いてくれ、私に関心を持ってくれます。私もみんなに関心を持ちました。自分を偽る事も減っていきました。
その変化は、自分が絵を描く時の気持ちにも現れました。私は気が付けば、自分が好きだと思ったことや知ってほしいことを絵に描いていました。
「はいいろの中の光」257㎜×182㎜
「曙橋」540㎜×380㎜
しかし、自分を偽らなくなったのはいいけれども、素直に絵を描くうち、だんだん自分の表現はどのくらい価値があるのかと考えるようになりました。
「日本橋京橋間」540㎜×380㎜
「新宿」297㎜×420㎜
絵の価値と、自分の命の価値が繋がって感じられ、金にならない表現は必要ないのではないかという思いが私を苦しめました。
「羽田行き」540㎜×380㎜
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※1 シューレ大学……東京都新宿区にある、オルタナティブな学びの場。現在、18歳以上の20代・30代の若者約30人が、自身の知りたいこと、表現したいことを探究している。
『ひきポス』での紹介記事⇒ 大人が通えるフリースクール?〈シューレ大学〉のご案内 - ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-
山本菜々子
1983年生まれ。小2から不登校。13歳まで家で育つ。セツ・モードセミナー中退。シューレ大学で表現活動を中心に、生き方を創ることを試行錯誤する。在学中にシューレ大学の仲間と(株)創造集団440Hzを設立し、デザインを担当している。また2015年にはシューレ大学のOGと「劇団ふきだし」を立ち上げ、公演活動も行う。
続編