ひきこもり支援の中には、ひきこもりを「救う」とうたう団体があります。しかしひきこもり当事者は、そもそも「救われたい」のでしょうか?今回は、ひきこもり支援のあり方に一石を投じる、当事者からの支援論をお届けします。
(文・写真 喜久井ヤシン)
「君と出会ってから、僕は安定剤を飲むようになった」
「それのどこが誉め言葉なの?」
「良い人間になろうと思ったんだ」
——映画『恋愛小説家』
あまり聞きなれない単語で、私自身一回しか耳にしていないのだけれど、「受援力(じゅえんりょく)」という言葉がある。
これは災害にあった被災地で、援助を受けるための能力を指して使われるという。
その土地に住む住民の一人一人のレベルから、行政が対応するレベルのことまで含めて、たとえば災害ボランティアの受け入れがどれだけ可能かなどを、受援力という考え方で示す。内閣府も「地域の『受援力』を高めるために」という冊子を作り、啓発をおこなっている。
私は、「援助をする力」ではなく、「援助をされる力」が問われるというところに、これまでに自分の考えてこなかった見方があり、新鮮だった。
「助ける」側がいくら助けようとしても、「助けられる」側がそれを受け入れず、ましてや「助けられる」こと自体を拒んでいたなら、その救済はうまくいかない。
これを個人的な「支援」の関係として考えれば、自然と連想してしまうのは、私自身が体験してきた「ひきこもり支援」のことだ。
私は十代から二十代の半ばまで、人と接することがいちじるしく少ない半生を過ごしてきた。
「ひきこもり支援」をおこなうサポートステーションへ通ったり、地元の行政の無料相談や、若者ハローワークに行ったこともある。
それらの「ひきこもり」の支援になるはずのサービスは、結果からいえば、私はうまく活用することができなかった。ひどい目にあったというほどではないにしても、少なからぬ傷心を味わうことになった。
直接は参加しなかったけれど、「就労支援」の講座のなかには、おじぎの角度や名刺の渡し方について、ことこまかに講習するプログラムがおこなわれていた。私にとって就労へのこわさはそのような細部にはないので、今思い返してみても、そのようなプログラムに参加しなくてよかったと思っている。
私が関わってきたいくつかの「支援」団体は、基本的にゴールを「就労」に設定しているところだった。
参加者である私には、「社会人」になるための努力義務が課せられていて、将来的には良い「納税者」(本当にこの言い方を掲げていたところがある)にならねばならなかった。
就労を勧める支援団体からすれば、私が労働できるようになることは、「ひきこもり」からの「救済」であるはずだった。
けれど、就職が「救済」であるならば、そもそも私は「救われたい」なんて思っていなかった。
本当に心が打ちひしがれて、人と会うことや外に出かけることが困難だったときに、自ら「社会人になりたい」なんていうような希望が湧いてきたことはない。
話を現在にまでもっていくけれど、30歳を過ぎた今の私は、きわめて低い所得ではあるにしても、給与を得て、毎日のように誰かと会って話すような暮らし方をしている。
今の暮らしぶりが自然とできるようになったのは、「働かねば許されない」とか、「ごくつぶしのままではいられない」といった、脅迫的なプレッシャーによるものではない。
魅力的な人と出会ってから後、ほんのすこしだけ、わずかでも、世の中に期待できるかもしれないという希望を抱くようになってからのことだ。
就労するためのスキルや意欲ではなく、「人と一緒に過ごしても大丈夫だ」と思えるだけの心もちになったことが、私の今の暮らし方をつづけさせる力になっている。
それは外からの「就労支援」の力があったためではなく、さきほどの言葉でいうなら、自分の心身のうちに、「受援力」がたくわえられたためだといえる。
本来の使い方とは違うにしても、孤立した個人において、受援力にあたるものがなければ、行政的なサポートはうまく機能しないだろう。
私が使おうとしているこの言葉の意味は、自分が孤立している状態のときに、自ら誰かに会おうとする意欲を生じさせるものであるし、そもそも誰かを信じられることそのものにあたる。
自分が苦しいということを感じ、そして信頼できる誰かにめぐりあえたなら、その時に自分が、社会的なものの方に向かって助けられてもかまわない、と判断するだけの期待感……、とでもいうようなもの。
私自身のことを思い出すかぎり、受援力がない状態で、居場所を紹介されたり、「ひきこもり支援」の情報を知っても、まるで役に立たなかった。
あらゆる社会的なものや、自分以外のすべての人が敵のように見えて、自分に手をさしのべるものは、すべて悪害のように感じられていた時期が長くあった。
それに、受援力のないままで、無理やり労働をし始めて、形だけ「社会人」としてふるまおうとしても、そのような生活を長くつづけられたとは思えない。
内閣府が今年出した調査結果によれば、「ひきこもり」の人は100万人を超えているとされ、国家的な「支援」が必要だといわれている。
けれど「支援」のあり方が、当事者に対して就労や納税への短絡的なプレッシャーをかけるものなのだとしたら、むしろ私のような者の受援力を下げることになりかねない。
それは結果として、「ひきこもりの救済」から遠のかせることになるだろう。
就労のために外から与えられる「支援」だけでは、私は救われなかった。
「支援」の前に、人や世の中に対して信頼を抱けるだけの、内側にたくわえられた受援力がいる。
そのためには、就労のために何かをせねばならない目標の設定されたプログラムよりも、ただ「居る」だけでかまわない居場所や、おびやかされずに一緒にいることのできる話し相手との出会いなど、当事者の心身を落ちつかせる取り組みが充実した方がよほど良い。
イギリスでは昨年「孤独担当省」が設立され、特定の年代や社会問題ではなく、広く「孤独」全般に対応するための取り組みがなされている。日本も「ひきこもり支援」として就労へ向かう方向でなく、全ての世代に向けての孤独への対応策があってほしい。
また、うつ病などの精神疾患に関して、当人の「援助希求性」をテーマにして論じた人もいる。精神疾患の当事者が、自分自分を助けるために、自ら動けるだけの力をどのように確保するか、が問われるテーマで、受援力ともつながるものかと思う。
もう一つ、短い余談として、「待つ」ことのやり方について付けくわえたい。「不登校」や「ひきこもり」に対して、親は「待つ」ことが大事だとよく言われる。
私もおおむねそのとおりだと思うけれど、「待つ」ことが通学や就労を「待つ」という意味なら、それは当人をおびやかすものになっているように思う。
そのような待ち方だと、家にいても大丈夫だと思えるだけの安心感をいだけないままで、何年もの年月を過ごすことになってしまう。
それは人や世の中への信頼を失わせるもので、当人の受援力を落とす。
本当に「待つ」ことをしたいのなら、子どもを安心させるだけの環境にせねばならない。それはとても難しいことで、「待つ」というのはきわめて能動的な、大変なことだと思う。
いずれにしても、受援力は当人の内から生じるものなので、無理やり誰かが介入したり、外から操作しようとしても、簡単に用意できるようなものではない。
当事者の内なるものである受援力を、それでもなお外から「支援」しようとする構図に、「ひきこもり」や「孤独」に対応することの、忘れられがちな、なおかつ根本的な難しさがあるのではないかと思う。
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執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。個人ブログ http://kikui-y.hatenablog.com/
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