~ 編集部註 ~
この記事には「不倫」などの単語が混じっています。
不快に思われる方はご注意ください。
文・虹野めるか
編集・ぼそっと池井多
第1回からのつづき・・・
外に出る気もなくなって
わたしは表参道近くのデザイナーオフィスを辞めてから、自分の部屋から一歩も外に出ない生活になりました。
外へ出なくなった理由は、いろいろあります。
まず、都会的なものがいやになった、ということがありました。
高校生まで田舎で暮らしていたころは、都会で暮らしたいと強く思っていました。
ところが今は都会の真ん中に住んでいるので、もう都会に憧れを感じなくなりました。
それどころか、都会的なものを見るたびに、わたしは自分の才能のなさを笑われている気がして、痛く感じるようになっていたのです。
わたしはせっかく入ったデザイナーオフィスを辞めてしまうことで、自分には時代の流行を作っていく才能がないのを認めた形になりました。
でも、外に出れば、そこは田舎とちがって、たちまち他の人が作った作品や仕事がつぎつぎと目に飛びこんできます。そういうものに残らず、
「お前にはこれだけの物を作る力はない」
「お前はダメだ」
と言われているようで、わたしは外を歩くのが苦しくなったのです。
それに、外へ出ても会う人がいませんでした。
東京へ出てきてまだすぐのころ専門学校に通っていましたが、そこは人の出入りが多すぎて友達ができませんでした。
そのあとはオフィスで朝から晩まで働いて、自分の部屋と職場を往復するだけの毎日だったので、途中に立ち寄る行きつけのお店もできなくて、この広い東京でオフィスの人以外に知っている人がいませんでした。
でも、オフィスの人たちの中には、職場を辞めてからも会いたいと思うような人は一人もいませんでした。
田舎の同じ町や地域から東京に出てきている人だったら、探せばいたかもしれません。
でも、わたしは同じ町の人には会いたくありませんでした。
田舎では、母の商売のことでさんざんいじめられました。
母は町の小さな繁華街でスナックをやっていたので、あの地域の人は皆、わたしのことを知ってるかもしれなかったのです。
「都会がいやになったら、田舎へ帰ればいいじゃないか」
と人は考えるかもしれません。
でも、それはそれで、やっぱりいやなのです。
田舎にはろくな仕事もありません。
せいぜい母のスナックを手伝うぐらいでしょう。
すると、わたしを「オミズ」と呼んで馬鹿にしていたあの同級生たちの言うとおりになってしまいます。
「東京でデザイナーになって成功して、この子たちを見返してやる」
と思って田舎を出てきた以上、わたしはもう田舎へは帰れないのでした。
それに、田舎へ帰ったら、もうパパと会えなくなります。
パパが帰ると、もう次にパパが来る日が待ち遠しくて、パパのことを考えて抱き枕を抱いていました。
一週間もパパに会えないというだけで、わたしは寂しくてどうにかなってしまうでしょう。
この広い東京で、心が許せる人はパパだけでした。
パパが来ても外へ出かけることはなくて、いつもお部屋で過ごしました。
あと、わたしが外に出なくなった理由は、すぐ次の仕事を見つけなくてはいけない、ということがなかったからです。
それまでぜんぜん遊ばないで働き詰めだったので、貯金がかなり溜まっていました。外に出かけないで、贅沢もしなければ、貯金を切り崩してしばらくは生きていけました。
それに、パパが来る日はいろいろなものを買ってきてくれるので、わたしはほとんどお金を使わないで済む生活をしていたのです。
それに、パパと居れば、わたしは孤立もしませんでした。
世の中から取り残される心配もありませんでした。
世の中で起こっているいろいろなことについて、パパはわたしにやさしく噛み砕いて話してくれました。だからわたしは、むしろ働いていたころよりも世の中のことを知るようになりました。
そうなると、ますますわたしは外へ出かけていく必要を感じなくなりました。
SNSで傷ついて
パパが来ない日、独りで部屋にいるときはインターネットをしていました。
スマホやパソコンで映画やテレビを観ました。
そのうちSNSも始めました。
SNSでは交流する友達ができました。
そこで少しずつ、他の人たちとのつながりができました。
つながりといっても、相手のことは名前とプロフしか知らないのですが。
どんな顔をしてるのかもわかりません。
なりすましが多いそうなので、男性か女性かもわかりません。
でも、仲良くなって、少しずつ自分の話をするようになると、わたしは思いもかけない言葉を返されて傷つくことが出てきました。
たとえば、当時こんなやりとりがありました。
外には1ミリも出かけないの?
つまり、ひきこもりってこと?
ひきこもりじゃありません
わたしは女です
なりすまし女じゃなくって
ほんとに女なんです
ひきこもりに男か女かなんて関係ないっしょ
女のひきこもりもたくさんいるよ?
え、そうなん?
わたしは混乱しました。
「ひきこもり」というと、暗い部屋でアニメ見てゲームしてるオタクの男の子のことだと思っていたからです。田舎では女性のひきこもりなんて聞いたこともありませんでした。
それから、また別のSNSに行って、またそこで仲良く話す人たちができて、みんな恋バナ始めたものだから、わたしも自己紹介のつもりで今の生活について少し書いたら、その人たちはわたしのことを「パパ活」だの「愛人」だの「不倫」だのと言い始めました。
ショックでした。
「パパ活」というのは、お金目当てでおじさんと付き合っている、したたかな女の子たちがやってること。
「愛人」というのは、もっと汚くけがれた関係のこと。
「不倫」というのは、もっと不潔で悪いことをしている場合。
そういう風に考えていたので、どれもこれもわたしにはあてはまらないと思いました。
わたしはたまたま外に出ないだけで「ひきこもり」じゃないし、わたしはお金目当てでパパに来てもらっているわけではないから「パパ活」じゃない。わたしとパパの関係は恋人と親子が合体したものだから「愛人」という汚らしい言葉はあてはまらない。……
固くそう信じてました。
わたしはこの人たちをブロックして、SNSでもその界隈にはもう行かないようになりました。
でも、世の中にはわたしのことをそういう風に見る人がいるのだ、ということがわかった後味はわたしに残りました。
わたしは世の中が怖くなってきました。
わたしがブロックした人たちは、たまたまわたしとSNSでやりとりしたから、そういう風にわたしのことを見ていることがわかりましたが、この広い東京にはわたしが知らないだけで、同じようにわたしを見る人が他にもっとたくさんいるのかもしれません。
そう考えると、わたしはどんどん世の中がこわくなってきて、もっと外に出るのがこわくなってきました。
だから誰とも会わないで、部屋の中でパパが来る日を待ちながらインターネットで映画やテレビばかり見る日々をすごしました。
わたしは、この生活をいつまでも壊したくありませんでした。
・・・第3回へつづく
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