来たる8月6日にVOSOTが主催するオンライン対話会「
ひきこもり支援において専門性とは何か
というテーマを扱います。
詳しいご案内はこちらをどうぞ。
https://www.facebook.com/events/3221591224795070/
参加お申し込みはこちらからどうぞ。(満員御礼 7月31日19:00)
今回は、なぜ私がこのようなテーマで対話会を開く気になったか、そのきっかけとなったある日の出来事について書かせていただきます。
考え始めるきっかけになった
ある日の出来事
文・ぼそっと池井多
私がこのテーマで対話会を開きたいと思ったのは、じつは昨年に
コロナ禍が始まるよりもずっと前である。
ある地方都市へ講演に伺った。
講演を終えた後、参加者席から一人の中年女性が出てこられて、私は演壇の近くで機材を片づけながら少しお話をした。
ひきこもっている息子、Aくんがいっこうに部屋から出てこず、いったい何を考えているのかわからず、将来が不安で不安で仕方がないのだという。
「おこがましいようですけど、もしこのあとお時間あったら、ちょっとうちまで来てくれませんか」
とおっしゃる。
私が行ったところでどうなるものでもないだろうとは思ったが、このお母さんには、なにやら聞いてほしい話が
そこで私は、どうせその夜はその街に泊まる予定であったし、こうした出会いも旅のうち、と遠慮なくお宅にお邪魔させていただくことにした。
お宅は市の中心部にほど近い古い町並みにあった。
大きな家ではないが、かといって私が住んでいるような貧乏アパートでもない。家は木造で、昭和初年に建てられたものと思われ、歩くとあちこちが
壁は埃ですすけており、柱には歳月を感じさせる凸凹があったが、ところどころ生々しい傷があった。これらは後に、Aくんが家庭内で荒れた時にできた新しい傷だとわかった。
古い木戸の向こうには
居間に上がらせていただくと、やがて奥からお父さんも出てきた。
「お茶とお酒、どちらがよろしいですか。お酒でしょう?」
なにやら私が酒好きだという情報がバレているようだった。顔に書いてあるのだろうか。
お父さんも酒好きであることが幸いし、ご当地の銘酒談義に花を咲かせながらも、Aくんのひきこもりについてご両親からいろいろなお話をうかがった。
私は質問した。
「ところで、Aくんは今どこにいらっしゃるんですか」
すると、お父さんはつと顔を上げて、
「そこです」
と言う。
顎で示した先は居間の一角である。そこには古い傷だらけの焦げ茶色の木戸があった。
私はてっきりそこは押し入れか何かで、木戸を開けると座布団でも入っているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
木戸の向こうは次の間になっているのだった。六畳ぐらいだろうか。そして、そこにAくんはずっとひきこもっているというのである。
そこから外へ出るには居間を通らなければならないから、私が座っている場所がAくんにとって世界との出入り口に当たるわけだが、ご両親が起きている間は出てくることがないのだという。
私は仰天した。
「ということは、今までの私たちの会話は、Aくんは全部聞いていらっしゃるってことですか」
「そうです」
それ早く言ってよ、と思った。
私はすっかり、Aくんは2階のどこかの部屋にひきこもっていて、居間で話している我々の会話など聞こえない、と思い込んでいた。べつに聞かれて困ることを話していたわけではないが、Aくんの立場からしたら、自分のことを大人たちが「ああでもない、こうでもない」と話しているのを壁一枚へだてた先から聞かせられるのは、さぞかし苦痛であったろう。
さらにお父さんはいう。
「今まで何人か専門家に来てもらって、説得してもらいました。でも、Aはこの扉から出てきません。……それで、どうでしょう、ぼそっとさんからも、ちょっと部屋から出てきて私たちと話すように説得してやってくれませんか」
今までやってきた「専門家」とはどんな人たちなのだろう。行政の人か。引き出し屋か。いずれにしても、親が勝手に呼んできた人が「出てこい」などと「説得」したところで、ひきこもりとしては出る謂れはない。だいたい、人質をとって立てこもっている犯人じゃないんだから。
その専門家たちがやったことは、いわゆるアウトリーチであり、当事者が最も嫌う接触の仕方であった。
しかし我が身を省みると、いま私がやっていることは何だ? もし私が支援者だったら、このようにお宅までうかがって、当事者の部屋の前まで来ているのだから、やはりアウトリーチと呼ばれることをやってしまっているのではないか。
しかもお酒までいただいて、酔っ払いのアウトリーチなんざ目も当てられねえ。
「それはお断りします」
私が答えると、ご両親はともにがっかりとした表情を浮かべた。
その表情があまりに気の毒だったので、その埋め合わせというわけではないが、私はこういう提案をした。
「じゃあ、こういうのはどうでしょう。
お父さんお母さんがおっしゃっている、『Aくんが部屋から出てくるようにという説得』はいたしかねますが、もしこの扉の向こうにAくんがいて、聞いてくれているのなら、私がAくんに直接よもやま話をするくらいならば、させていただきます。
ただし、その時間はAくんと私だけの対話にしたいので、お父さんお母さんはどこかに行ってていただきたいのですが」
「いいでしょう」
交渉は成立し、ご両親は30分間ほど外を歩いてくることになった。
ご両親がいなくなると、私は背後にAくんがいるはずの傷だらけの木戸に向かって、話しかけ始めた。
大したことを話したわけではない。酒も回っていたので、あまり頭を使うことは話せる状態になかった。
ともかく自己紹介から始めた。
木戸の向こうでギイっと音がした。
Aくんが椅子の姿勢でも変えたのだろうか。
しかし、相変わらず応答はなかった。扉の向こうには、たしかに人の気配はあるが、その実在が定かでないままに、私は独り語りを続けた。
自分もひきこもりであること。このように地方都市に呼んでいただくことはあっても、自分が住んでいる近隣では生活は全くひきこもりそのものであること。社会的には無職で、国民の税金で生かしてもらっており、あちこちで馬鹿にされ、しょうもない人生を送っていること。ひきこもりの心性がなかなか「ふつうの人」にはわかってもらえず、苦労していること。ガチコモリだった時は、こんな状態にあるのは世界で自分一人だと思っていたこと。ひきこもりは孤独であること。その孤独をどこか愛してもいるのだが、ときに途轍もなく淋しく不安になること。けれど、不安について自分はこう思っている、ということ。……
……
……
何から何まで、聞く人によっては耳をふさぎ鼻をつまみたくなるような自分語りであった。
ときどき椅子の軋む音は聞こえてくるが、とうとう最後までAくんは返事一つしてくれなかった。
「こんな酔っ払いの与太話を聞いてくれて、どうもありがとね」
と礼を言って語りを締めたところで、ちょうどご両親が帰ってきたので、これ以上の長居は無用と私もお宅を辞去した。
お母さんからのメール
3ヵ月経って、Aくんのお母さんからメールがあった。
あの日のあと、Aくんがとつぜん昼間に部屋から居間へ出てきて
「カウンセリングを受けることにした」
と言ったのだという。
以来、Aくんが部屋のなかで自分でインターネットで検索していたらしい、市の中心部にあるカウンセリングルームに毎週通うようになった。
相変わらずほとんどの時間は部屋にこもっているし、両親が求めるような「将来の話」はしたがらないようだが、居間で顔も見せる機会も増え、両親とあいさつ程度の言葉を交わすようになってきたという。
お母さんは私へのメールで、あの夜、私がAくんとの対話に「成功」し、そこで私が何か専門的な技法を使ってAくんの心を変えたのではないか、と勝手に想像して感謝してくれているのであった。
驚いたのは私のほうである。
あの夜、私は酔った勢いで、Aくんの部屋の傷だらけの焦げ茶色の木戸に向けて延々とくだを巻いていただけである。語ったことは確かに私の本心から出た言葉たちだったが、そこには技法も専門性もない。
そもそもあの独り語りのなかで、私は自分のことしか語っておらず、Aくんにカウンセリングはおろか、何も具体的なアドバイスなどしていないのだ。
それは純粋にAくんが自分で考え、起こした行動である。だから、Aくんの変化が良いものであったとしても、それは私の手柄などではないのだ。
ピア・サポーター資格制度とは
ここで私は考えこむに至ったのである。
それまで数々の「専門家」がAくんにアウトリーチして説得を試みたが、いずれも実を結ぶことはなかったところ、私が扉越しに語りかけたらAくんは動き始めたという。少なくともご両親はそう解釈しているようだ。
もし、そうだとすれば、いったいひきこもり支援において専門性とは何なのであろうか。
私は何も資格を持っていない。
社会福祉士でもなければ、精神保健福祉士でもない。某巨大な団体が発行するピア・サポーターの資格も持っていない。ただのひきこもり当事者である。
ろくに仕事をしないで生きてきたので、私には専門性というものがない。しいて言えば、私は私に関する専門家ではあるが、それだけだ。
もし私がひきこもり当事者であることが作用したというのなら、当事者性が専門性であるということになる。もしそうならば、ピア・サポーターを量産すればよい、という話になるだろう。
しかし、ピア・サポーターの資格を持っている当事者・経験者が、誰しも同じように問題に対処できるわけではないだろう。
ひきこもり支援に限らず、カウンセリングや接客業など広く人間相手の行為や商売は、どんなマニュアルを覚えてもそれらはしょせん小手先を補うのにすぎず、結局はその人がどんな人生を送ってきたか、その人の存在そのもの、人間性が試される場となるのではないだろうか。
そうなると、「ピア・サポーターを資格化する」という制度そのものに問題があることになり、そのような制度を設計することは、かえってピア・サポーターの本質を損なうということになってしまう。
また、ピア・サポーターが資格化されることは、その資格を持った当事者と持たない当事者のあいだに階層ができることを意味する。持っていない一般当事者からすれば、ピア・サポーター資格保持者も悪い意味で「ひきこもりの専門家」に準じる存在に見えるということである。
「つなげる機関」情報が専門性か
「いやいや、ひきこもり支援の専門家は、被支援者がどのような支援ニーズを持っているかによってどのような機関につなげるか、詳細な情報が頭に入っている。それが専門性である」
という反論があるかもしれない。
しかし、もしひきこもり支援における専門性が、そのような電話帳的な情報に終始するならば、パンフレットにして配布すればいいし、スマホで検索できるアプリにしたり、ウェブページで検索できるプラットフォームを作ればよい。
目指す情報には人に会わないでアクセスできるほうを、多くのひきこもり当事者は選ぶことだろう。
また、そのような情報に基づいてつなげた先が、ほんとうに被支援者に役に立つ機関であるとは、支援者はどのように担保できるのだろうか。
たとえば、私が以前通っていた精神科医療機関には、ひきこもりだけでなく数々の問題を持つ当事者たちが「専門性」を持つ支援者によってごっそりと送りこまれてきた。しかしあそこに送りこまれたら最後、どのような悲惨な末路が待っているかをすでに在籍している患者として知っていた私は、
「もし自分が支援者だったら、絶対ここにはつなげない」
と考えたものだ。
支援者は、あくまでも専門家としてあの医療機関の名前を知っているだけで、当事者としてそこに身を置いたことがないから、内部の実態を知らなかったのである。
このように考えてくると、いよいよ私は「ひきこもり支援において専門性とは何か」がわからなくなった。そこで、当事者や支援者という垣根を超えて、この問題について広く意見を交換する場を持ちたいと願うようになったのである。
次回8月6日の
(了)
第13回 4D(フォーディー)
『ひきこもり支援において専門性とは何か』
日時:2022年8月6日(土)14:00 (- 17:00)
場所:Zoomによるオンライン開催
主催:VOSOT(チームぼそっと)
◆ 開催の主旨
苦しみのさなかにあるひきこもり当事者は、支援者に批判的になりがちです。
「支援者の対応が当事者の望むものではない」というのが理由であることが多いようです。 しかし、支援者も苦しみのさなかにあったりします。とくに支援の最前線に立たされている方ほどそのようです。
具体的に何をすればよいかわからない、抽象論ばかりのスーパーヴィジョン、上司からの圧力、クライエントからの突き上げ、数量評価主義、不安定な雇用、組織の縦割り、遅れているデジタル化、山のような書類……。
けれど立場上、「わかってくれよ!」とクライエントである当事者に言うわけにもいきません。守秘義務との兼ね合いもあります。
ここで当事者としても、支援者の置かれた苦しい人間的状況を知っていたほうが相談しやすいということもあります。支援者と当事者は上と下ではない、対等な人間同士だと思えるからです。非現実的な期待をして後で怒らないで済みますし、当事者のプライドも保たれます。
8月の4D(フォーディー)では、立場を超えて当事者と支援者がお互いの苦しみを語ることによって、「ひきこもり支援における専門性とは何か」をホンネで考え、ともにより良い支援を手づくりしていく場にしたいと考えています。
いわば「当事者と支援者の覆面座談会」。
支援者の方は、所属機関や個人情報など言えない一線もあるでしょうから、それはお任せします。本名でなくてかまいません。支障がある方はカメラもオフのままでいいです。会のなかで語られた、個人が特定される話は持ち出し禁止です。 もちろん、支援の専門性について希望を語る当事者のご参加もお待ちしております。
◆ 参加費
- お金のない人 無料
- お金のある人 振込先口座情報をお送りしますので、500円以上のご寄付をお願いします。いただいたご寄付は、すべてゲストへの謝礼など運営のために使わせていただきます。
◆ 事前申込み制 (満員御礼 またの機会のお越しをお待ち申し上げております。)
参加お申込みはこちらからどうぞ。 http://u0u1.net/0gQt
参加確定者の方にはZoomの開催リンクをお送りします。
◆ 参加時のおやくそく
https://www.facebook.com/events/3221591224795070/
◆ 問い合わせ先
VOSOT(チームぼそっと) <vosot.just.2013★gmail.com> ★→@
※ facebookなどアルファベットの団体名を登録できない一部のSNSでは「チームぼそっと」で登録してあります。
したがって「VOSOT」と「チームぼそっと」は同じ団体です。