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「支援者に好意を持ったら支援を切られるのか」 ひきこもり支援被害者 阪上健也さんの証言

Original Photo by Parthrpatel800, Retached by Vosot Ikeida

編集者からの序言

ひきこもりに関する支援者たちのシンポジウムやフォーラムや研修といった場へ行くと、心理臨床家たちのそれと同じく、そこではいつも成功例ばかりが語られている印象がある。

きっと

「成功例から、他の支援者や治療者たちが新しい方法論や技法が学べる」

という主旨なのだろう。

しかし、もしそうであるなら、成功例だけでなく失敗例も同じくらいの分量が語られるべきではないだろうか。一つの失敗例から、どこがどのように間違っていたのかを分析し、マイナスの情報として支援者・治療者の間で共有されていくことが求められているはずである。

ところが実際は、そのようなシンポジウムやフォーラムや支援者研修にはある種の「お祭り」の要素があり、辛気臭いことは好まれない。支援者・治療者たちのプライドが大事にされ、失敗例が基調報告になるようなことはほとんどないのである。

こうして失敗事例は貴重なデータであるにもかかわらず、ほとんどが「恥」として過去の闇へ葬り去られていく。

 

今回、私にお話を聞かせてくれた阪上健也さん(仮名)は、支援を求め、支援を信頼した結果、その支援に裏切られ、支援を恐れるようになった当事者である。

ひきこもり支援や心理療法が成り立つには、まず両者のあいだに信頼関係が構築されなければならない。そのために支援者(治療者)は、被支援者(被治療者)に自分への「好意」を持たせようとするだろう。

支援・治療関係における「好意」とは、支援や治療を成立させる最も重要な要素の一つである。

私自身もかつて或る精神医療機関からとんでもない被害を受けたが、それも集団療法の治療共同体において患者たちが治療者へ向けて発生する治療転移という「好意」を、治療者が悪用し始めたことが原因であった。

また「好意」とは、恋愛感情や性的幻想へ発展しうるものだから、二者の関係性の形態によっては容易に性暴力やプライバシー侵襲の問題へ転化する蓋然性を秘めている。

それだけに扱いは難しいはずである。

このような厄介な代物、「好意」をめぐって支援や治療が失敗していった例は、きっと枚挙に暇がないにちがいない。しかし、それらは上に述べた理由からほとんど語られることがない。

阪上さんの話は、それが表に出てきた貴重な例である。

 

最後にこの記事の成立までのプロセスをかんたんに記しておく。

阪上さんは、ひきポス宛てにご自身の体験をメールで送ってきてくださった。それを拝読して私が関心を抱いたので、改めてお会いしてインタビューさせていただき、お聞きした内容によって先のメールを肉づけをする方向で編集し、最後に彼に確認して校正していただいたものである。

 



語り手 阪上健也(仮名)

聞き手・編集 ぼそっと池井多

 

支援者を信頼していたぼく

ぼくは、小学生から高校までの間に学校でいろいろあって、つらい体験をしてきました。それらの体験は、あまりにもつらいために語る気持ちになれませんでした。

 

その後、何年か経って精神が不安定になったとき、ある支援団体につながり、カウンセリングを受けることになりました。

その支援団体は、ぼくが中学のころから言えなかった、あるつらいことを話せた初めての場所でした。

だから、ぼくはその支援団体を信頼しました。

 

そこで女性カウンセラーの桜澤さん(仮名)と会いました。

桜澤さんは、

「わたしは阪上君の味方だからね」

などと言ってくれました。

でも、その時ぼくは、

「カウンセラーとは、クライエントとの距離を縮めるために、必ずそんなことを言うものだと聞いている。
客商売だからそう言ってるだけで、ほんとうの気持ちで言ってくれてるわけないから」

と自分に言い、冷めた気持ちで桜澤さんの言葉を聞いていました。

でも、どちらかというと好感の持てる女性だと思いました。

じつは、ぼくがそのカウンセリングルームへ行ったのは、初めはそこのオーナーによるカウンセリングを受けに行くためでした。

桜澤さんは、居場所に行くとその場にいた人にすぎませんでした。

ところが、桜澤さんはぼくの情緒に訴えるような話をしてきました。

そこでぼくは桜澤さんに、そのような言動をとることを断りました。

すると、桜澤さんは、
「どうして坂上君はそんな風に言うのかな?」
などと言い、さらにぼくの情緒に訴える話し方を繰り返してきたので、ぼくも遂に彼女に自分の悩みを話すことになってしまったのです。

また親は、カウンセリングを受けることをそんなに強くは勧めてはいませんでした。結果的にそうなったという形でした。

 

桜澤さんとぼくの最初の対話のセッションが、まさかそれがすでにカウンセリングの始まりであるとは、ぼくは知りませんでした。

なぜならば、カウンセリングが始められるときには、カウンセラーからその旨がクライエントに告知されるはずだからです。

桜澤さんとぼくの場合は、カウンセラーである桜澤さんからの告知はなく、彼女はぼくたちの関係を「友達関係」と言っていました。

だから、必然的にぼくは彼女との会話は「友達関係の会話」と心の中で認識していました。

「じつはあれが、カウンセリングの第1回目だったのだ」

とぼくが知らされたのは後のことです。

 

ともかくその最初の対話セッションが終わった後、その団体のスタッフ2~3人がぼくの周りに来て、

「桜澤さんって、阪上君の好きなタイプでしょ」

などと言って、さんざんぼくを冷やかしました。

 

ぼくにしてみれば、桜澤さんとはまだ1回しか顔を合わせておらず、ファーストネームも知らないというのになぜそんな話になるのか、と少し不機嫌になりました。

でも、その時のぼくは、精神状態がどうしようもないほど荒れ果てていて、人間関係を深く考えられる状態ではなかったので、スタッフたちに煽られている間についついその気になっていき、本当に桜澤さんに好意をいだくようになってしまいました。

しかし、この時ぼくが桜澤さんに好意をいだいた理由の深層を掘り下げていくと、先ほども述べたように、それがカウンセリングの一部と告知されず、あくまでも友達関係の会話だと桜澤さんに認識させられていたからだ、という事実に突き当たるのです。

 

いったん好意が芽生えてきてしまうと、初めは冷ややかに聞いていた、

「わたしは阪上君の味方だからね」

という桜澤さんの言葉にも、社交辞令ではない確かな意味がこめられていることを期待して、すがりつきたくなっていきました。

 

Photo by Beruta, Retached by Vosot Ikeida

でも、好意をいだいたあとも、ぼくは桜澤さんを待ち伏せたり、プレゼント攻めにしたり、といったことはいっさいしませんでした。ストーカー犯罪のようなことは全くしていないのです。

ただ、我慢ができなくなって、その団体の男性スタッフにぼくの桜澤さんへの気持ちを話してみました。

男性スタッフは、それを桜澤さんに伝えてくれると言ってくれました。

ところが、これが思いもかけない展開をしたのです。

 

とつぜん支援団体から切られる

しばらくして、ある日とつぜんその団体の理事長がぼくと両親を呼び出しました。

その席で理事長は、

「あなたはもう退会です」

と一方的にぼくに宣告し、ぼくはその団体に支援される関係を切られてしまいました。

理由を尋ねると、ぼくがカウンセラーに好意を持ったから、という理由しか語られませんでした。

それに対するぼくや両親の言い分は何も聞いてくれませんでした。

 

ぼくはショックを受けてひどく落ちこみ、すっかりひきこもり状態になりました。

ひきこもっている最中は頭も気持ちも混乱して何も言葉が出てきませんでしたが、冷静になって考え直してみると、あのとき退会させられたぼくが一番言いたかったのは、

「好意を抱かせたのは、向こうの団体の人たちなのに、なぜぼくだけが好意をいだいたということで責められ、退会させられるのか? なぜぼくの言い分は聞いてもらえないのか?」
ということでした。

 

そこで両親がぼくの言い分を手紙にしたため、その支援団体宛てに出してくれましたが、団体からは理事長の支離滅裂な返事が来るだけでした。
そのうちにこちらから手紙を書いても、返事そのものが来なくなりました。

 

ぼくは重いうつ状態になり、都内の相談機関に行きました。

その相談機関の勧めで、桜澤さんに手紙を書きました。

しかし、手紙の返事は来ませんでした。

 

間に立ってくれる人がいて、一度その桜澤さんと会った方がいいということになり、ぼくと桜澤さんが会うことが計画されましたが、このアポイントメントは反故にされました。

 

そうこうするうちに年月が過ぎました。

あとから考えると、ぼくの気持ちを桜澤さんに伝えてくれた団体の男性スタッフは、確かにぼくのためにいろいろやってくれた反面、

「なぜこんな人が支援団体のスタッフをやっているんだ」

と思えるほど不安定で、自分のことで手一杯の人でした。

彼がどのようにぼくの気持ちを伝えたのかはわかりません。

 

また、ぼくが団体から切られたあと、桜澤さん自身はぼくに「会いたい」と言っていたのに、団体の理事長が「ダメだ」と止めた、という事実が伝わってきました。

 

さらに、理事長がぼくを団体から切ると決めた時、副理事長にあたる人がそれに反対したということもわかりました。それでも理事長の一存で、ぼくは支援から放り出されたのです。

 

今もぼくには支援者恐怖症というべきものがあり、支援者と出会うたびに、

「この支援者、ほんとははらの底で何を考えているんだろう」

と疑り深くなり、支援者の顔色ばかり見てしまいます。



(了)

 

 

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