・・・「第3回」からのつづき
文・子守鳩
大学のキャンパスで空回り
他のひきこもりの方々と交流するようになってから、私は不登校からひきこもりになった人たちの賢さや哲学的な奥深さに圧倒されて、学歴や偏差値といったものは人の価値を推し測るのに、まるで役に立たないことをつくづく学ばされました。
しかし、大学へ入学した当時は、親と高校の影響を受けて、私はまだ偏狭な偏差値至上主義の価値観にとらわれていました。
運よく中堅どころの大学に滑りこんだものの、中学・高校の友人がもっと偏差値の高い大学へ入学していたため、私は勝手に敗北感を抱いて、挫折や孤独を感じ、無気力になっていました。
しかも私は大学で何か学びたいことがあったわけではなく、単に就職を4年後に延期したかっただけでした。
学科は経営学科でしたが、経営には全く興味がありませんでした。
大学ではサークル活動や恋愛を楽しみたいと思っていました。
サークルでは友達と彼女を作るため、学内で最大の人数がいた英会話サークルに入りました。
それ以外にもオールラウンドサークル(スポーツや飲み会を中心にイベントをやって交流するサークル)やテニスサークルなどに入りました。
しかし、どのサークルの雰囲気にも馴染めませんでした。
友達は少しできましたが、彼女は同じようなわけには行きませんでした。
高校時代までと同じように、やはり女性とはしゃべることができず、悶々とした思いが募るばかりでした。
どのサークルも男子の方が多く、女子が少ないので、よほど積極的に話しかけない限り彼女を作ることは難しい状況でした。
一向に彼女はできず、努力が空回りしていました。
虚しさと苦しさが募るばかりで、
「苦しいだけの人生なら、生きる意味もメリットもない」
と考えるようになっていきました。
そして、
「大学1年の終わりごろに二十歳になるから、それまでに彼女ができなければ自殺する」
と決めたのです。
宇宙の真理とは何か
高校の頃、将来は宇宙の研究者になって、宇宙の真理を発見してみたいと思ったことがありました。
宇宙の真理がわかれば、自分の悩みも解決できるのではないか、と考えたのです。
しかし高校の物理は最初のところから挫折し、全くやる気がなくなってしまいました。
F(力)=ma(質量×加速度)
という公式が理解できなかったのです。
物理の成績が悪かったので、宇宙の研究者になることは無理だと悟り、諦めました。
それでも、
「たとえ宇宙の真理が分からなくても、彼女ができたら幸せになれるかもしれない」
と思って努力を重ねていきました。
けれども、やがてそれもなかなか難しいと感じられてきました。
そんな中、仏教に詳しい友達ができ、仏教の知識を教えてもらうようになりました。
その友達によれば、
「仏教の世界では、物理が苦手でも、彼女ができなくても、幸せになれる方法がある」
とのことでした。
そこで私は、
「幸せになる方法として宗教という道もあるのか」
と考えるようになりました。
死んだ後も苦しみは続くのか
その友達の影響もあり、
「大学にいる間に、自分に合う宗教を見つけよう」
と思うようになりました。
大学の図書館で宗教関係の本を読み、授業でもイスラム教に関する科目をいくつか受講しました。
また自殺に関する本も読み始めました。
ちょうどその頃、「完全自殺マニュアル」という本が出版されました。
後にベストセラーになる本ですが、私はこの本を、有名になる前、つまり初版で購入していました。
そしてその中に書いてある通りの薬を致死量買い込み、春休みの実行に備えました。
それまで私は「死んだら無になる」、つまり、「死ねば苦しみもなくなる」と思っていました。
ところが、仏教に詳しい友達が、
「いや、死後の世界はある」
と言うので、
「死後の世界がどうなっているのかも一応調べておこう」
と思うようになりました。
苦しみをなくすために自殺するのに、自殺した後に今よりもっと苦しくなったら意味がない、と思ったからです。
そしてスウェーデンボルグ、カール・ベッカー、丹波哲郎などの本を読み、霊界や臨死体験などを調べました。
そんな状況もあったので、大学一年の頃は仏教系、キリスト教系、神道系などいろいろな宗教団体から勧誘されました。
サリン事件を起こす前のオウム真理教からも声を掛けられました。
オウム真理教の勧誘者とは一週間後に会う約束をしたものの、当日の待ち合わせ場所に相手が来なかったため、オウムとは関わらずに済みました。
宗教団体へのめりこむ
このように、私はさまざまな宗教の本を読んだり宗教団体の話を聞いたりしましたが、なかなか納得できる教義とは出会えませんでした。
しかし、大学1年の後期のテストが終わった日、つまり明日から春休みという日に、ある人と出会ったことが、私の日々を変えました。
その人は、私が大学からの帰り道でアンケートを取っていました。
私はアンケートに応じ、初めは道端で質問に答えていましたが、しだいに話が盛り上がり、
「立ち話も何だし」
ということで、彼らのサークルボックス(部室)へ誘われました。
その人が実は、世に名高い真理幸福学会(仮称)の勧誘者であることは、その時は知りませんでした。
彼らのサークルボックスはビデオセンターと呼ばれていて、「神の存在証明」とか「宗教と科学の統一」とか、ビデオのタイトルを見ただけで当時の私が興味をそそられる、面白そうなビデオがたくさん置いてありました。
しかも、ただで見させてくれるというのです。
試しに、いくつかを見させてもらうと、中身はタイトル以上に面白く、こんなお得なことは他にないように思われました。
そこで、それからは毎日のようにビデオセンターに通ってビデオを見るようになりました。
ビデオセンターには優しい先輩がたくさんいました。
先輩たちは、誰もが私の話の腰を折らずに最後まで丁寧に聞いてくれ、私に関することなら些細な事まで何でも褒めてくれました。
おまけに、お菓子まで出してくれるし、他のサークルのように私の方から気を遣ったり積極的に話しかけたりする必要がなく、とても居心地が良い環境に感じられました。
ビデオは、見れば見るほど納得させられてしまう内容で、私はどんどん引きこまれていきました。
そこには道徳観を押しつけるような話はまったく出てこず、理詰めで展開される話に、ただただ感心させられるばかりでした。
「宗教なんて非論理的なものにちがいない」
と思いこんでいた私は、気がつけばすっかり考えを改めさせられ、驚きとともに新しい価値観へのめりこんでいったのです。
もともと私は春休みには自殺する予定でしたが、親切な先輩たちの合宿が春休み中40日間にわたって開催されるとのことで、私もそこに参加するように誘われました。
ぜひ行きたいと思いました。
そこで私は、自殺はひとまず延期して、真理幸福学会の教義を学ぶためにその合宿に参加することにしたのです。
・・・「第5回」へつづく