ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

【ひきこもり歴史館】第1回 冬至でさらにひきこもる ~ 昔の人は冬季うつをどうしていたのか ~

一年でもっとも陽の短い冬至。この時節に動けなくなり、うつになるのは人間的自然ではないか。昔の人はどうしていたのだろうか。

「ひきこもり」という概念に大きな可能性を感じる 井口(仮)さん当事者手記 第1回

新連載第1回。ひきこもり支援機関で受けた対応に疑問を持ち、改めて「ひきこもりとは何か」を考えた筆者が自らの体験談をもとにひきこもりに大きな可能性を切り拓く。

「不登校」と吃音の共通点 「行きたいのに行けない」・「話したいのに話せない」とはどのようなことか

喜久井伸哉 「不登校」最終解答試論③ はじめに行為ありき (ゲーテ『ファウスト』) 私は幼少期に、「学校に行きたいけど行けない」身体に見舞われた。 自分の意思は「行きたい」と思っているのに、行為は「行けない」状態になる。 「行きたいけど行けない」…

「不登校」では語ることができない もし「不来校」や「スクール・マイノリティ」という名称だったなら

喜久井伸哉 「不登校」最終解答試論② おお、友よ、このような響きではない!もっと心地よい歌を、もっと歓びにあふれた歌を、歌おうではないか(ベートーヴェン「交響曲第九番」) 私はこれから、自身に起きた「不登校」のことを、語ろうと思う。 しかし、語ろ…

「支援者に好意を持ったら支援を切られるのか」 ひきこもり支援被害者 阪上健也さんの証言

支援する・されるという関係において「好意」というものは、じつに扱いが難しい代物である。これがなければ支援は進まない。けれど、ちょっと扱いを間違えれば……

明治時代には学校が燃やされていた 日本の近現代史から考えると本当は「不登校」なんてどうでもいい

文 喜久井伸哉/「不登校」最終解答試論① 小中学生の「不登校」は24万件を超え、近年増加を続けています。これは一般的に「問題」と考えられていますが、歴史的に見ると、「子供が学校へ行かないこと」は珍しくありませんでした。今回は、あまり語られること…

「暗い支援」がほしい

文 喜久井伸哉 / 画像 Pixabay 「明るい」支援者はお断り?今回は、ひきこもり経験者が語るユニークな〈支援論〉をお届けします。 世の中の「明るさ」がこわい 私は半分本気でいうが、就労支援所は葬儀社をモデルにしてほしい。 今の世の中は、「明るさ」が…

社会人は〈雑談〉が9割……でも私に欠けていたものは他にあった

(文 喜久井伸哉 / 画像 Pixabay) 社会人は〈雑談〉が9割 〈雑談〉さえうまくできれば、どんな社会でも生きていけると思う。 私は筋金入りの「不登校」だが、大人になった今、必要だと思うのは「学力」よりも「雑談力」だ。 世の中で働く多くの人にとって…

未来は過去にある ~私がガチこもりから外へ出られたきっかけ~

「つねに先々のことを考えよう」 「いつも次の一手を用意しておかなくてはいけない」 と考えていたら、どうにもこうにも外へ出ていけなくなった。泥沼の深い底から抜け出すには、まず未来志向を捨てなくてはならなかった。……

【観劇レビュー】俳優座の「演劇8050」はひきこもりと向き合う重要なヒントを(半分だけ)とらえた

今回は、劇団俳優座の舞台『猫、獅子になる』のレビューをお届けします。作品の主役は、中学の頃のトラウマをきっかけに、長年自室に引きこもっている50歳の女性。「ひきこもり」の物語を、「ひきこもり」の経験者が読み解きます。 ※公演初日の11月4日の回を…

「学校へ通っていた」のではなく「不登校になる自由がなかった」だけ 《 ひきこもりの考古学 第5回 》

小学校5年生のとき、書道だけ教えにくる「美人教師」は私のことを嫌っていた。なぜって、私は字が書けなかったからだ。習字を教えているのに、字が書けない生徒なんて厄介ものでしかない。……

職場の人とうまく〈雑談〉ができたとき、私ははじめて「人間になれた」と思えた

(文 喜久井伸哉) もし私の「ひきこもり」にゴールがあるとしたら、「職場で雑談ができたとき」だ。 「就労」ではない。 「ひきこもり支援」では、よく「就労」がゴールのように言われている。 外で働いて、自分のお金を稼ぐという点では、たしかに「社会的ひ…

ギャンブルでも人生でも、「もしかしたら」という悪性の希望が身を滅ぼす

(文 喜久井伸哉 / 画像 Pixabay) 人がギャンブルにハマるのは、「うまくいく」からではない。 「うまくいくかもしれない」からだ。 ボロボロに負けても、「次はうまくいくかもしれない」と思えるせいで、欲望が立ち切れなくなる。 ゲームの勝敗にしても、…

わたしが「生きづらさ」を感じるのは、人生から〈グレーゾーン〉がなくなったとき

(文 喜久井伸哉) 私が「生きづらさ」を感じるのは、人生の「グレーゾーン」が少ないときだ。 「学校に行くか行かないか」、「就職するかしないか」、「結婚しているかしていないか」。 はっきりした「白か黒か」の状態しか許されず、中間の選択肢がないと…

不登校もひきこもりも、自分で選んだ人生ではありませんでした

私は、自分で選んでいないものによって批判されてきた。 「不登校」がそうだった。「ひきこもり」がそうだった。「ゲイ」がそうだった。 どれも自分では選んでいないが、私は「不登校」として育ち、「ひきこもり」として過ごし、「ゲイ」として生きてきた。 …